時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『智恵子抄』高村光太郎

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『智恵子抄』より「あどけない話」高村光太郎.ーーーーーーー智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。桜若葉の間に在るのは、切つても切れないむかしなじみのきれいな空だ。どんよりけむる地平のぼかしはうすももいろの朝のしめりだ。智恵子は遠くを見ながらいふ。阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である。ーーーーーーー.前回postと同じパターンで。スの母が好きだった詩。母が時々、笑顔で朗々と詠じていたのだけれど。幼少のスは「東京」には本当に空がないんだと思い込んでいた(あほか)。時々「アタタラヤマノヤマノウエ」が脳内をループしたり。.それなあにと尋ねたのかどうかはうろ覚えだが、自分が小3のある日「これはタカムラコウタロウというひとの奥さんのチエコさんが言ってたんだよ」と母は種明かしをし。勢いで学校図書館に行き、司書先生に「タカムラコウタロウのチエコさんのアタタラヤマ」の話をして、『智恵子抄』を借りてきたのだった。なんか、五月雨式に思い出すわ。..なんだかね。娘と同じ年だったときに自分は何をしていたのだろう と思い出そうとすると、あれこれ浮かぶのはやはり母の姿なのであり。もしかしたら、母は他にも時折そういうことばを散らしていたのかもしれなくて。明らかに「作品」とわからないような、単語とか、言い回しとか。今はもう尋ねることができないのだけれど。.そういえば、「こいつぁ春から縁起がいいわえ」も母の得意フレーズだった。年がら年中ではあったのだが(朝だったり他の季節だったり)。母は、娘が大学で日本文学(専攻は近世芸能)を選んだのをどう思っていたのだろう。.わたしは母のことを何も知らない。.自分の娘は、わたしのことを知りたいと思うだろうか。何か残しておくと慰みになるのだろうか。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#高村光太郎#青空文庫