時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『法然 対 明恵 鎌倉仏教の宗教対決』町田宗鳳

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『法然 対 明恵 鎌倉仏教の宗教対決』町田宗鳳ええ。森博嗣の百年シリーズ三部作のラスト『赤目姫の潮解』副読本その1です。世界観の補完目的。明恵(みょうえ)の華厳思想の密教的実践。法然は置いとく。.明恵は35年間自分の見た「夢日記」を書き続けていたこと、島(自然物)に恋文を書いたこと、とにかく釈迦ラブなとこ、耳を削ぎ落としたことなどの奇人ぶりにスポットが当たりがち。あ、あと高山寺が所有する鳥獣戯画。でもね。やべぇな明恵にハマるこれ。明恵が何故そう考え、そう行動するのか。決して奇人ではなく(そうかな)、考えと行動がものすごい明恵の宇宙の中で一貫しててぶれてねぇ。以下、備忘録としてバラバラとランダム列挙。読みづらくてすみません。..理事無礙法界・事事無礙法界・入我我入(対象と自己が相互に交流すること)・唯識.明恵の「最大の悩みが釈迦との空間的時間的隔絶にあった」からこそ「華厳思想と坐禅修行によって、明恵は釈迦との隔絶感を克服していく」。.「群衆を喜ぶ者が 心解脱にいたる道理はない されば、ブッダのことばに従って 犀の角のごとくまさに独り行くべし」(「犀角経」).「十玄縁起無礙法門」のうちいくつか。*「同時具足相応門」十玄門(存在の諸相)のそれぞれが時間的へだたりを持たずに同時に具現している*「広狭自在無礙門」無限と有限が矛盾することなく、同時に成立している相。肉体を持った自分が永遠の仏の世界にも生きていることになる*「一多相容不同門」一と多が互いに対立することも混ざり合うこともなく存在している相。しかも、絶対者が宇宙を取り仕切っているのではなく、個々の事物が真如(真の実体)の世界を形成している*「微細相容安立門」芥子や毛孔のような小さなものにも宇宙全体が含まれている*「因陀羅網法界門」人間も含めて一切が交ざり合い、「入我我入」の相互関係で結ばれて断続することがない*「託事顕法生解門」「木に刻み絵に書きたるを、生身と思えば、やがて生身にてあるなり」*「十世隔法異成門」過去・現在・未来が直線上で連続しているのではなく、三世のそれぞれに置いて過去・現在・未来が出現し、しかもすべての時間が円環している相。絶対的時間論.「広大無辺の華厳哲学を「菩提心」という一語に凝縮させ」、「その菩提心を擬人化させて、善財童子という具象を媒体として理解していた」。.「覚醒時の体験と睡眠時の体験は途切れることがなく、互いに関連をもち相即相入していることになる」。「明恵にとっては、夢もまた現実(実相)の世界にほかならない」。「夢を見ることは「夢中所作の学業」として、覚醒時に学問をするのと同様の重要性があった」。.「禅中に心想あるが如く(その像が実在するようにはっきりとしているので)、奇異の想いをなす。時に空中に声あるを聞く。いわく、「諸仏、悉く中に入る(諸仏が全てお前の中に入った)。汝今、清浄を得たり」と。」(『瞑感伝』明恵 ).「全身が水晶のように透明体になった明恵と、諸仏が交ざりあったことである。ここにおいて、主体と客体が一体化した世界が、明恵の体を通じてそのまま実現している。」.「川端康成が、彼のことを「月の歌人」として紹介した」。「恐らく月光の下、瞑想にふけることが多く、単なる風流心ではなく、深まる禅定の中で、月と自他一体の感覚を強めていたのだろう」。「月の白い光を浴びている自分と、夜空に輝く月とが同じ命を生きていることを全身で感じ取っていた」。.「あかあかや あかあかあかやあかあかや あかあかあかやあかあかや月」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#町田宗鳳#明恵#月の歌人#華厳哲学#高山寺#栂尾#森博嗣#赤目姫の潮解#百年シリーズは月が象徴的ですね.特定の宗教に帰依する気は一切ありません悪しからず。あくまで自分が考える上での参考程度。そうね。敢えて言おう。自己完結ステンシル教であると(何)。そう。自分がどう考え日々過ごすか。ひとそれぞれ自己の芯があればいいのでは?何かにすがる必要もなく、独立独歩(ウォーカロン疑惑)。あ、もちろん命を存続するためのツールやエナジィは必要です。.こないだ高山寺に行ったけれど。今度は娘連れて行こう。娘がNHKで「パプリカ」踊ってる鳥獣戯画観てツボってたし連れてったついでに東洋哲学沼に引きずり落とそうか…(多分無理)。