時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『ヴェニスに死す』マン パウル・トーマス

映画の美しさが素晴らしいとかで見たすぎる。DVD買う。

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『ヴェニスに死す』マン パウル・トーマス:作 実吉捷男:訳.こちらは宮本浩次副読本(何)。以前先生がラジオで鹿野さんにこの映画好きだっつってたのでぜひ観たいと。でもまだ観れてなくて、やたらぐぐってるので主要人物の顔だけくっきり思い出せるっていう(絶賛遠回り中)。買おう。.青空文庫巡回してたら岩波版のを見つけてしまったので原作を先に。映画ではアッシェンバッハは作曲家なのですね。こちらでは小説家。..芸術家である初老のドイツ人男性アッシェンバッハが旅先のイタリア・ヴェニスで出会ったポーランドの少年タッジオ。その少年が「完全に美しいのに気づいた」アッシェンバッハ。ギリシャの彫像を思わせる「形態がきわめて純粋に完成していながら、同時に比類なく個性的な魅力を」もつ少年から目が離せなくなる。.海で遊ぶ少年を見つめ続けるアッシェンバッハ。時折少年と目が合っては少年の美しさ、ギリシャ神話、プラトンの”ファイドロス”、自分のことなどについてひとり思いを馳せる日々が続く。.次第に、圧倒的な美に向かい合いたい自身の姿を省みて、自分が初老であるということ、容姿、外見を気に病むようになる。旅の初めに目撃し嫌悪した”不気味なほど若作りしている痛い老人”へ自身も変わらざるを得なくなってくる。そして最後には「人々のじろじろ見るのを、もはや恐れなく」なり、顔を白く、真っ赤な口紅をべた塗りし、装飾品をやたら飾り立てているただの醜い男となる。.ヴェニスでは観光地としては致命的である疫病が流行し始める。現地の人間は皆その事実を隠し、それでも続々と地を離れる観光客をよそに残り続けたアッシェンバッハは…。..これ、ますます映画観たくなりました。これだけアッシェンバッハの思いを哲学書のごとく延々記述している原作に対し、それを映像でどう表現しているのか。言葉で説明できない思いを音楽が補完しているのだろうか。すげぇな。あ、作曲家設定なのはそういうことなのかな。.傍からみたら"醜く哀れな男"と捉えられるかもだけれど、本人は美の本質へ少しずつ近づけているという確信と幸福がそこにあったんじゃないかなぁ。映画だけ見るとうっかり単なる”少年のケツを追っかけてるストーカまがいの哀れな両性愛者”の話だった、俺よくわかんね ってなる人いないかな。美はもっと精神的なものなのだよ。この作品とても好きです。.では。アッシェンバッハの思う「美」についての一節。,「美とは、われわれが感覚的に受けとり得る、感覚的にたえ得る、精神的なものの唯一の形態なのだ。それとも、もしそのほかの神的なもの、理性と徳性と真理が、われわれに感覚的に姿を見せようとしたら、われわれはどうなるだろう。昔ゼメエレがツォイスを見てそうなったように、われわれは愛情のために消え失せ、もえつくしてしまわないだろうか。だから美は、感じる者が精神へゆく道なのだ。」..ええと、全然関係ないけど『ヴェニスの商人』アントニオを思い出した。バサーニオのこと愛してたよね…。キリスト教を信じる以上はその心を抑えなければならなくて。信教と自我との相克。答えが出せず終わりの見えないどこまでも目の前に続く白道(宗教混線中)。ただ無心になって真っ直ぐ前へ歩みを進めていればいつか救いの光が彼を包むのか。これはまた別の話。.#読書 #読書記録#books #bookstagram#トーマスマン#トオマスマン#thomasmann#実吉捷男#ヴェニスに死す#ドイツ文学#青空文庫#饗宴#プラトン的恋愛#パイドロス#ギリシャ神話 (セメレーとゼウス#ヴェニスの商人#シェイクスピア#二河白道.先生曰く、映画のことはよくわからないがベニスに死すは好き。忠実に原作の再現をされてて、ファッションとかもカッコよくて、好きですねぇと…ええとあれこれ仰ってますが先生、映画のタッジオ完全どストライクですよね(わー)。美しい存在をあらゆる境界なく愛せるのがそれこそ古代ギリシャより連綿と続く本来のひとの姿だと思うわよ先生。愛されるのも然りよ美しき愛しきひとよ。イデオロギー云々で見えなくさせられてきた人間の根本というか。そもそも論。人間って何だ? 先生、我はニーチェを読むしかないかい?ちなみにタッジオ役の方の最近のお姿もどこかしらなにかしら(違う#ビョルンアンドレセン#石くん#ダイヤモンドちゃん#美形すぎて