時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『美的生活を論ず』高山樗牛

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『美的生活を論ず』高山樗牛.最近『漱石の「猫」とニーチェ』(杉田弘子:著)という本を読んでいて、そこに登場してきた作品群を追いかけているところ。「稀代の哲学者に震撼した近代日本の知性たち」というサブタイトルがついていて、我のアンテナにガンガン引っかかるひとが紹介されていて。坪内逍遥、夏目漱石、生田長江、和辻哲郎、阿部次郎、萩原朔太郎、芥川龍之介。くっ。←お分かりいただけるだろうか悶絶中の我を.そういえば坪内逍遥といえば我が娘(小3)の5本の指に入るお気に入りだがそれはまた別の話(晩年の風貌が好み)。くそう枯れ専め。お母さんあなたの将来が心配。.あれ? そしたら我の感覚はニーチェ寄り(何)なのかな。よくわからん。何しろニーチェの本丸にまだ乗り込んでいない(それ先読もうぜ)。相変わらず遠回り。.という訳でこの本精読してから再度夏目漱石の『吾輩は猫である』を読み直す予定。俺得な「男どものキャッキャウフフな日常会話」だけではない新しい何かを得られる予感…! ←そもそも完全な妄想読みなだけ ←偏ってんのよ我.さて。高山樗牛も紹介されてましたので読んでみました。漱石先生と同じくらいの時期に海外留学しようとしてたのに喀血したため療養を余儀なくされ、一度も海外に出られず夭折された方。さぞ無念だったことだろうと。あの頃の肺結核、タイムマシンできたら真っ先に撲滅したい。..人生の目的。それは幸福であること、幸福とは本能の満足であること、本能とは人生本然の要求であること、そして人生本然の要求を満足せしむるものを美的生活という、と。「糧と衣よりも優りたる生命と身體とに事ふもの是れ也」。.「道徳と理性とは、人類を下等動物より區別する所の重なる特質也。然れども吾人に最大の幸福を與へ得るものは是の兩者に非ずして、實は本能なることを知らざるべからず。蓋し人類は其の本然の性質に於て下等動物と多く異なるものに非ず。世の道學先生の説くところ、理義如何に高く、言辭如何に妙なるも、若し彼等をして其の衷心の所信を赤裸々に告白するの勇氣だにあらしめむか、必ずや人生の至樂は畢竟性慾の滿足に存することを認むるならむ。」.「誤つて萬物の靈長と稱せられてより、人は漸く其の動物の本性を暴露するを憚り、自らを求めて、もしくは知らず知らず其の本然の要求に反して虚僞の生活を営むに至る。而して吾人の見る所を以てすれば、人類をして茲に至らしめたるものは、實に人類をして萬物の靈長たらしめたる道徳と知識とに外ならず、知らず、道徳と知識と畢竟何の用ぞ。」..最初ほうほうと読んでいたのだが。道徳や理性に縛られることで人間本来の幸福を忘れちゃいないかい? というのはさもありなんなのだけれど。自分に嘘ついて生活しちゃいないかい? て。勝手に遠慮しなくていいし、周りの評価や価値判断を基準にして右往左往する必要など全くなく。自分がどうありたいか。でもねぇ。そこで性欲という言葉を出すのかい。んー、それだけでもねぇんだけど。魂の発露て。.「詩人美術家が甘じて其好む所に殉したるの事例は讀者の既に熟知する所ならむ。畢竟藝術は彼等の生命也、理想也。是が爲に生死するは詩人たり美術家たる彼等の天職也。是の天職を全うせむが爲に、彼等の或者は食を路傍に乞へり、或者は其の故郷を追放せられたり、或者は帝王の怒に觸れて市に腰斬せられたり。あゝ死を以ても脅かすべからざる彼等の安心は貴き哉。富貴前にあり、名利後にあり、其の意に反して一足を投ぜむ乎、是れ盡く彼等の物のみ。而かも彼等は斯くして得たる生に較ぶれば、死の遙に幸なることを認めし也。」.ああ、そういう考え方になるひとがやはり一定数いるのだなぁ とか。芸術が生命、理想。これのために生死するのは彼らの天職。。。むむむ。でもね。繊細すぎるその心をなんとか、なんとか保って、世の中に籍を置きながらその芸術を寿命と共に全うしてほしくて。みんなホンマ頼むから元気で長生きして。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#高山樗牛#青空文庫