時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『蜜蜂と遠雷』恩田陸

担当奏者のピアノ祭が始まってます。やはりピアノ男子好きなのね(ジャンル問わず)。

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『蜜蜂と遠雷』恩田陸.さて。散々あらゆる方が取り上げていらしたこの作品。我はつい斜めな見方をしてしまいそうね という思いと、そもそも恩田陸さんをあまり存じ上げなかったので今まで手にしておりませんでした。しかもええと、直木賞と本屋大賞受賞作なのね(世間知らず.今更ですが拝読。とあさん( @toa.sorairo )読みましたよー。そしてみなさまの感想とは全くズレた視点ですみませんが思ったことを散発。.あの、結論から言うとあっという間に読めました。とても読みやすい。曲に興味が湧きました。実際の曲ほとんど知らない人間ですが知ってたらもっと感覚変わるんだろうなと追体験中。祭りが始まる。.恩田さんは音を聴いてて脳内に情景や色が浮かぶ方なのかな。結構リアルにそれを感じる方の描き方かもなぁと思ったり。でも恩田さんが実際どなたの音源を聴いてイメージされたのかがわからないしそもそも全くの想像かもですし、追体験祭りしても思てるんとなんか違う演奏にたくさんあたって疲弊しそう(何)。.これ、原作の描写を映画で音にするの逆に難しかったのではないのかな。曲で勝手に情景や色を妄想してしまう我としては、同じような感覚、イメージを共有し表現できる奏者が集わないと原作描写と同じ色出せなくない...かな...とか。映画どうなんだろう。あいたたってならないかな(何様か)。.もうそれか音楽家たちにもの凄い取材したり文献あたったりして曲のイメージ拾い集めたのかな。だとしたら作家の文章力だなぁ。うむむ、イメージってひとそれぞれに感じるものではないのかなぁ。それとも圧倒的な表現力は聴くもの全てに同じ景色を見せるのだろうか。.おお、蜜蜂と遠雷関連で曲集めたCD数種出されてるのね。これ聴くのが手っ取り早いのかな。でも不思議。原作にある登場人物&曲の描写&担当奏者の表現とは別にほかの奏者の演奏も楽しむってことなのかな。例えば煽情的でトリッキーとマサルが評した塵のショパンのスケルツォ、担当奏者の藤田さんのは少し柔らかくて丸くて優しい。たぶんそのままの藤田さんで大丈夫なので藤田さんの音を弾いてくださいとか言われたのかなぁ。蜜蜂と遠雷関連で収録されてたラン・ランさんとイーヴォ・ポゴレリチさんを聴いてみましたが塵イメージではどちらかといえばイーヴォ・ポゴレリチの方がぽいかなぁとか。他音源も何人か聴いてみたけどアレクセイ・スルタノフさんとか、かなりぽいです。...蜜蜂の羽音も、これからもたらされるであろう慈雨を思わせる遠雷も、自然の恵みであり、我らを構成する音のひとつであり。.そうね。世界は音に満ちている。そもそも世界中で鳴っているあらゆる音から選りすぐって音楽家たちが曲としてパッケージングしてる。風間塵は「狭いところに閉じこめられている音楽を広いところに連れ出す」と表現しているけれど。音楽を世界に返すということをこれからの音楽家は考えてゆく時代になってきたのか。まるで新しい風を実際に共有できる時がくるのかしら。#読書 #読書記録#books #bookstagram#恩田陸#蜜蜂と遠雷うむ。映画を観ておらず実際に使われていた音源をしっかり聴いていないというのと、クラシックにごっさ詳しい訳でもないだけあって、我の中で風間塵ビジュアルは完全に10代のころの #藤井風 で脳内再生されているの。自由度とか底知れなさとか。この思いわかってくださらないかしら誰か。.ああ、それとやっぱキャラを完全に読み込めてる反田さんてすげぇなと(全然関係ないわね