時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『湯ヶ原ゆき』『雑談』国木田独歩

『湯ヶ原ゆき』『雑談』国木田独歩.『湯ヶ原ゆき』はおそらく独歩唯一の紀行文。明治40年7月発表の作。療養目的の旅で、このころすでに病がだいぶ進んでいて、実際出発時点からずっと熱発しっぱなしでさぞかししんどそうか と思いきや、その中身はあまり病気が云々関係なく、療養に付き添ってくれた義母(治子の母)の様子描写ばっかなのが面白いです。..元来お喋り好きな独歩、列車道中の会話を楽しもうと思って景色が変わるなど事あるごとに義母に話しかけては「さう?」「さうですか。」「ハア。」「さうねえ。」で終了され 「これでは何方が病人か分なくなつた。自分も断念(あきら)めて眼をふさいだ」。.義母を称して曰く「沈々黙々、空々漠々」「悠然、泰然、茫然、呆然」。果てしない気持ちに襲われた独歩は「對話」ということ、「大袈裟に言へば『對話哲学』又たの名を『お喋舌(しゃべり)哲学』に就て」考え始めてしまいます。が、あっさりばっさり「喋舌る事の出来ない者は大馬鹿である」という考えが真っ先に浮かび、しゃべれるのであればこの際相手が泥棒だって構わないものとかなんとかもやもや考えてるうちに眠くなってきたり。.近くに座ってる老夫婦の真似をしてお弁当を食べようと買ってみたものの、独歩はあまり食べられず。しまった食えないなら何故酒を買わなかったのだ俺 と後悔して「酒を買へば可かった。惜しいことを爲た」とつぶやいたら「ほんとに、さうでしたねえ」と相槌を打ってくれたのでハッと義母の方を向いたら「義母(おっかさん)は今しも下を向て蒲鉾を食ひ欠いで居らるゝ所」で。←別客の会話を聞き勘違いしたしおっかさんは食べるのに夢中.途中乗り合わせてきた巡査二人を「痩(やせ)て弱くなつたやうな」張飛と「鬚髯(ヒゲ)を剃り落して退隠したやうな」関羽と勝手に心の中で言い出したり馬車の喇叭(ラッパ)、好きだなー とか回想しまくったりしてるのですが結局宿に到着する手前のとこで話は終わっています。..『雑談』は明治40年10月の作です。その中で『湯ヶ原ゆき』発表の後日談的なものもお話しされてます。そこを抜粋してご紹介。振り仮名つけてます。どうぞ。.ーーーーーーー義母のことを『悠然茫然泰然呆然』と書いたが、まさか分る氣遣いもあるまいと、知らん顔で濟(すま)してると、惡事千里、何時の間にか、義母の親戚や知人の間に知れて、「悠然茫然泰然呆然」が、義母の通り名になつて了(しま)つた。するといつの間にか其が義母の耳へ入つたとも知らず、此の間妻を里へやると、散々の御不興で、顔を見ると突然こづき廻さん許(ばか)りの剣幕に、何も惡氣があつてやつた譚(わけ)では無いから、後で良人(うちの)をお詫びによこしますと云ふと、妾(わたし)の前へでも來やうものなら、横腹を剜(えぐ)り飛ばしてやるからと、大に鼻息が荒かつたさうだ。今では旣(も)う何でも無くなつたが、斯う云ふ話しをまた小説にでも作つて母に見せたら、何と云ふだらう。一寸面白いだらうと思ふ……。ーーーーーーーー.独歩は翌年の6月に亡くなっています。あああ、このときはまだ悪だくみ(そうなの?)する気力があったのだねぇと思うとしみじみ。..#読書#読書記録#books#bookstagram#国木田独歩