新たな沼。
なんかね。国木田独歩を読んでいると、そこかしこに宮本浩次みを感じるの(勝手に妄想)。よく宮本先生は森鷗外、永井荷風、太宰治、夏目漱石、ゲーテなどお話しされていたけれど。作品の内容や言葉選びが というわけではなく、人間そのものというか。魂が右往左往なところとか。でっかい存在に驚異するところとか。ヒーロー(英雄)になることについての思いとか。
空や月を見て果てしない気持ちになって神様に祈ってみたり、地上を見てよし俺はもうこれで行こう行くしかねぇと思ったり。
というわけで今更独歩にはまっている。きっと今後こちらにはだらだらとこういうことを書くことになるのだろうとは思う。
今まで日記やブログはやっていた。ついったーとかいんすたぐらむとかなんかやらんやらんとずっと思っていたのだけれど。宮本先生のおかげであっさりいんすたでびゅーしたし。言葉について何か言いたい時ってやっぱりついったの方が出しやすいのだろうかとか(そしてどつぼに)。