時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『鴎外先生』永井荷風

そういえばあんまり小説読んでないな。

人となりが分かるもの読みたがりである。そして妄想を膨らませ(うわ)。

 

宮本先生の持っているキーワードを雑多に蒐集している感満載です。いいのです楽しいから(開き直り)。

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鷗外を見つめている荷風の姿が自然と心に浮かんでくるのです。鷗外先生は「獨り靜に藝術の庭を散歩」し、「自分の氣に入つた花の姿をば繪に寫して折々土塀の外に居る人に見せて」やる。そこに居る大抵の者には何の事だか分からず、然し「好奇心の燃えて居る」若者達はその美しさに心付き庭に入ってこようとする。だが「誰も行き得るものはない」。.既に先生が見飽きた路傍の花を眺め、あれがいいこれが美しいと騒いでいる。先生は「其聲をかすかに聞いて、獨りで微笑んだ」。ふいと皆の知らぬ変わった花を投げてみせる。「おれも今では庭を歩いてゐる男だと高振つて居る」若者達は、その花を知らぬと思うのが厭で「おれ達には不必要だと罵つた」。 ..そして、先生は「遠から此の聲を聞いて再び面白さうに笑ふ」。 ..「先生はいつも獨りである。一所に歩かうとしても、足の進みが早いので、つい先へ先へと獨りになつてしまふのだ。競争と云ふやうな熱のある興味は、先生の味はうとしても遂に味へない所であらう。自分は先生の後姿を遙に望む時、時代より優れ過ぎた人の淋しさといふ事を想像せずには居られない」鷗外の臨終時には面会し、最期の姿も見送った荷風。荷風は、鷗外を第二の父と呼んでいいほどの存在として終生敬慕し続けた。「鴎外先生」の初出は1909(明治42)年。翻訳『ファウスト』や史伝『渋江抽斎』を世に出す前の鷗外の姿。この時の荷風は、先生がこれらの作品を生み出していくことを想像していただろうか。#読書 #読書記録#books #bookstagram#永井荷風 #森鷗外#青空文庫