時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『耳で考える ー 脳は名曲を欲する』養老孟司・久石譲

Instagramの内容をまとめてどばどばアップ。その昔、はてな日記の時は投稿日を操作できたのだが。さて。神々の対話。ぐっとくる。

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『耳で考える -脳は名曲を欲する』養老孟司・久石譲.ええと。面白かった。大変面白かった。長年何となくモヤっとしてた”聴覚”に関するところの霧が晴れる感覚。あ、そういうことなん? が山盛り。10年前の発行だがもっと早くに知ればよかった。.でもこのおかげでさらに迷子になったところも。その辺はブログに書きます(迷子センター扱い)。自分の耳の”聴こえ方”についてここ最近色々発覚したことを踏まえ。今まで疑いも知らず茫洋と生きてて無知だったのよ。.以下、特に引っかかったところ。ーーー(養老)目は非常に客観的。だから、見て感動するより、聴いて感動する方がよっぽど多いんです。.(養老)目が耳を理解するためには、「時間」という概念を得る必要があり、耳が目を理解するためには、「空間」という概念をつくらなきゃいけない。それで「時空」が言葉の基本になった。.(養老)聴覚系が本来持っている性質が論理性です。目はそういう論理性を持っていません。だって、あるものがみんな目に入ってしまいますからね。(養老)耳は、時間の中をきちんと単線的に動いていきます。ですから、音楽が論理というのは正しいんです。.(久石)絶対音感というのは、どうやら「聴覚野」ではなくて「言語野」で覚えているらしいんですね。それで音楽を聴いても、言語野と聴覚野が両方きっちり動くという話があるんです。.(養老)今のお話で、言語野でそれを理解しているということはどういうことかなと考えてみたんですけど、おそらく言語野と聴覚野の間に連絡があって、周波数依存で並んでいる神経細胞と、言語野の中の神経細胞がつながっているんですね。線でつなぐように。言語野の中で安定しているとすれば、聴覚野にあるそういったきちっとした周波数依存の並び方を言語野が意識的にレジスタンスしているのかもしれない。.(久石)ピカソは九十歳まで現役でしたが、五十過ぎてからどれだけスタイルを変えたか。巨匠ですから社会的に実力はもう充分認められている。そのまま続けていても問題はないはずなんですが、そこに甘んじることができなかったのがピカソらしいところです。自分で自分に課題を出しつづけて追い込んでいた、それがピカソのエネルギーの枯渇しない理由だったのかもしれないという気がします。.(久石さん後書き)「良い音楽とは何ですか?」という僕の質問に対し、養老さんは一瞬沈黙された後に「長く聞かれるもの、時間が経っても色あせないもの」と明快に答えられた。音楽家であったら誰でも知りたいことであり、その答えを見つけ出すために一生を費やすのだが、養老さんはあっさり数秒で即答された。ーーー.ところで(おや久しぶり)。宮本浩次先生の30数年前から現在までのどの曲も、聴いてて全く色褪せない。一時の流行に流されていないのだよ。きっとこれからもあらゆる新しい色の曲を生み出し、また世の中で聴き続けられ、気づいたら全人類のスタンダードに(また妄想かい?)。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#養老孟司#久石譲もうリチャードパワーズは一年かけてゆっくり読む(横道逸れまくり)。既視感よあなたにも届け。