時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『大阪の反逆』坂口安吾

最近読むようになった方たちとは別に、むっかしハマっていた奴らもいる。安吾と織田作はそっちの方。懐かしいわ。

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『大阪の反逆』坂口安吾.昨日織田作を思い出したので芋づる式に坂口安吾。安吾が織田作のことを書いている随筆。実は坂口安吾にかなり昔ハマっていた時期があるのだがそれはまた別の話。太宰は避けて通ってきたけれど。安吾と織田作は普通に読んでたな何でだろう。.先日いいねしてくださった方のpostを拝見し、『文豪ストレイドックス』について改めて考えてみたり。いやリアル太宰を避けてたからこちらも未視聴で。で、こっちでも3人つるんでるのかな? と思って。ルパンで。むむ。アニメ、観てみようかな。でもアニメ版独歩があまりにもカッコよすぎてソレじゃない感半端ない〜。でもアニメの紹介うぃきさん見てたら中のひとたちが俺得な気がする。でも技は繰り出さないだろう。でもちょっと気になる。むむ。でもばっかり何この逡巡。新たな沼…? ←もう脳内再生ビジュアルが完全塗り替えられる危機..「先頃、織田と太宰と平野謙と私との座談会があつたとき、織田が二時間遅刻したので、太宰と私は酒をのんで座談会の始まる前に泥酔するといふ奇妙な座談会であつたが、速記が最後に私のところへ送られてきたので、読んでみると、織田の手の入れ方が変つてゐる。」.全然言わなかった無駄な言葉を織田が書き加えている、と。それによって他のひとが引き立ち、自分がバカに見えたりするとこがあったり、逆に自分が引き立つようなとこもある。でも織田の狙いは自分を落としたりあげたりすることじゃなくて、純粋に「読者を面白がらせる」というところにある、と。「文学の本質的な理論にふれたものではなく、ただ世俗的な面白さ、興味、読者が笑ふやうなことばかり」話を盛る。これを織田の「徹底した戯作者根性」と安吾は言っていて。..戯作者と読物作家とをごっちゃにするな、とか、文士は思想家たる面と、戯作者の面と二つのものが並立して存するものだ、とか、作者がその心を真面目に率直に述べてるのが思想性のある文学だとするのはどうかなぁ「いくら深刻に悩んだところで、下らぬ悩みは下らないもので、それが文学の思想の深さを意味する筈はな」いとか。結構安吾のこういう物言いが好きで。「ただ生活を書く」てのは作文の世界であって文学とは根本的に違う、とか。某作家をディスってたりするのだけれど。..さて。「大阪の反逆」という言葉を使っている。織田作は大阪出身である。「織田は悲しい男であつた。彼はあまりにも、ふるさと、大阪を意識しすぎたのである。ありあまる才能を持ちながら、大阪に限定されてしまつた」が、「まさしく日本文学にとつては、大阪の商人気質、実質主義のオッチョコチョイが必要なのだ。文学本来の本質たる厳たる思想性の自覚と同時に、徹底的にオッチョコチョイな戯作者根性が必要なのだ」としている。..「純文学の純の字はさういふ素朴な魂を拒否せよといふ意味ではない。ただ、如何に生くべきか、思想といふものが存してゐる、その意味であり、それに並存して、なるべく多くの魂に繋がりたいという戯作者がゐる。あらゆる人間の各々のいのちに対する敬愛と尊重といたはりは戯作者根性の根底であり、小説の面白さを狙ふこと自体、作者の大いなる人間愛、思想の深さを意味するものでもあることを知らねばならぬ。. 孤高の文学といふ。然し、真実の孤高の文学ほど万人を愛し万人の愛を求め愛に飢ゑてゐるものはないのだ。」..孤高の文学のくだり、もう安吾ホンマそれな。←語彙力0.1グラム..#読書 #読書記録#books #bookstagram#坂口安吾#青空文庫#織田作之助