時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『鳥』(旧題『三月七日』) 鈴木三重吉

赤い鳥以前の三重吉兄さんが気になります。木曜会ラブ。

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『鳥』鈴木三重吉.三重吉兄さんの明治40年4月の作。や、やっと全集に辿り着けた。.三重吉は、自分の書いた作品を、世に出した後も推敲・校正を重ねタイトルも変えたりしている。この『鳥』も、元は『三月七日』というタイトルだった。森田草平いわく、「新しい本が出た日から、鈴木はもう手を入れてゐた」。.「鈴木三重吉全集月報」を読んで落涙(何かと友人目線)。全集をまとめるにあたり、できるだけ最新のものを採用し、でも「叢書や何々文学全集に入れられたものは、その定本になったものを採」ることを心がけた、との編集者、小山東一さんの話。「作家鈴木三重吉はその作品に推敲を重ねた人で、彫心鏤骨といふのはかういふ人の作品をいふのであらうと思ふ」。.彫心鏤骨(ちょうしんるこつ)。文章を洗練させるため、全身の骨や心にまで浸透するほどの苦労をすること とのことで。兄さん。自分の作品に厳しかったのだね。息が詰まるほどの苦心の末、もういいやってなってしまったのだろうか。..ああ、『鳥』でした。三重吉兄さんのことになるとつい。こちらは、夏目漱石『文鳥』で「文鳥は三重吉の小説に出て来るくらいだから奇麗な鳥に違なかろう」「三重吉の小説によると、文鳥は千代千代と鳴くそうである」とこの小説『三月七日』に言及している。にしても。”出て来るくらいだから奇麗”とは。そういうものに目を向ける三重吉兄さんの思いを漱石はちゃんと知っていて。..男が飼い始めた真白の文鳥。眺めながらその嘴の色について思いを馳せる。少し長いけれど引用。踊り字(くの字)の部分は変換できぬのでスが直しています。.「嘴の何かに似てゐるのはどうしても思ひ出せない。撲つ切り飴にこんな色のがあつた。譲り葉の莖の色。いゝやまだほかの何かである。丁度そつくりのを見た事がある。何やらだつたと、男はいろいろの記憶をほじつてみる。頭の周圍をちらちらする癖にどうしても捉へ出せない。錦畫を粉にして振り撒いて、むらむら落ちる中の一粒を紛れなく見別けてゐようとするやうである。百里も先の女を戀ひ戀ひて、飛べば飛んで行けさうに見える時の氣持である。考へ飽きて唄に酔うたやうな氣持になる。綾さんの事が心に浮んでくる。いろいろの場合がちらちらと頭に浮ぶ。さうだ。嘴はあの時の行燈だ。」 ..そう。水沫のように次々と浮かんでは消える言葉たち。その男が今いるところさえどこか儚げで。ずっと頭の中をひらひらと羽を広げ漂い続け。..「男はいつしか目を閉つて自分の死ぬ日の事を考へる。死ぬといふ日になると頭の髪の一本一本がひとりでに、赤い絹糸、白い絹糸、紫綠黄青といろいろの糸にずんずんと伸びて、虹の如き何百蔓本がさらさらさらと縺れ絡んで、瞬くひまに全身を包んで了ふかと思うと、體は見る見る小さく縮まって、最後に小さい七彩の繭となる。」.「側に見てゐた綾さんは眞白い着物を着て、その繭を手の平に乗せて、千里に蓮なる赤い草の中を分けてゆく。七つの時に別れたわしの母さまのところへ向けて、悲しい歌を歌ひながら徐々(しづしづ)と分けてゆく。行つても行つてもどこまでも花で、行つても行つても眞赤である。綾さんは少しも立ち止らない。振り返りもしない。哀れな歌を歌ひながら何日も何日も分けてゆく。」..綾さんとのやりとりさえも夢想で。もしあたしが先に亡くなれば? と綾さんに聞かれた男はこう答える。.「綾さんはしまひに白無垢の着物を着て、緋縮緬を口に銜えて雪の中へ埋まるといゝ。さうするとちやんと文鳥に生まれてくる。」..文鳥と思いを寄せる女性とを重ね合わせ。後日談的に三重吉兄さんは『文鳥』というタイトルで漱石先生の言及についての種明かし的なことを書いているのだけれど。それはまた次回。漱石先生の文鳥についてもまた次回。三重吉兄さんの文鳥を読んでから漱石先生を読むと、三重吉兄さんの方に泣けて泣けて。もはや三重吉馬鹿の我ですが一体何にツボったんだろう… 。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#鈴木三重吉#夏目漱石