時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『九月十四日の朝』正岡子規

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『九月十四日の朝』正岡子規 .子規は1902(明治35)年9月19日に34歳の若さで亡くなりました。.子規の辞世の句は【糸瓜咲て痰のつまりし仏かな】【痰一斗糸瓜の水も間に合はず】【をとゝひのへちまの水も取らざりき】とされているため、忌日が「糸瓜忌」と呼ばれています。.当時、へちま水は咳止めや痰切りなどの薬として使われていたとのこと。糸瓜の花は咲いたけれど、自分にはもはや間に合うことはない と。淡々と詠ずる中に潜む凄み。死を受け止め、なお句作を続けたその思い。ことばと共にに生きるということに果てしない気持ちになる我です。..さて。『九月十四日の朝』。こちらは「ホトトギス」に1902年9月20日に掲載されたもの。亡くなる直前の子規のことばを高浜虚子が口述筆記しています。とても透明感のある、静謐な文章。.甲州葡萄を十粒ほど食べ「金茎の露一杯という心持がした」子規。これによりはっきりと目が覚めて、再び体の不安、苦痛の感覚が戻ってくるのだけど。身体は自ら動かすことがもはやできなくなっていて、虚子が取り付けてくれたガラス障子の外を眺めやる。糸瓜、女郎花、鶏頭、秋海棠。そして思う。「今朝ほど安らかな頭を持て静かにこの庭を眺めた事はない」。.穏やかに虚子と話をしているうち、納豆売の声が聞こえてきて。「奨励のためにそれを買うてやりたくなる」と自らは食べる訳でもない納豆を家人に買いに行かせる。虚子はそれを『子規居士と余』で「もう自分の命が旦夕に迫っているのに奨励のために納豆を買わせるなどは居士の面目を発揮したものである」と述懐している。..日々の病苦、激痛。もはや発語も不明瞭になっている中、ふととても安らかな瞬間が訪れていて。こちらは最後の一節。.「たまに露でも落ちたかと思うように、糸瓜の葉が一枚だけひらひらと動く。その度に秋の涼しさは膚に浸み込むように思うて何ともいえぬよい心持であった。何だか苦痛極って暫く病気を感じないようなのも不思議に思われたので、文章に書いて見たくなって余は口で綴る、虚子に頼んでそれを記してもろうた。筆記しおえた処へ母が来て、ソップは来て居るのぞなというた。」..「実に十四日の朝の記事は居士の最後の文章と言ってもいいものであったのである」と『九月十四日の朝』を全文引用して子規を偲んだ作品が高浜虚子の『子規居士と余』です。こちらについては次回。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#正岡子規#高浜虚子#青空文庫子規の雅号は子規(ホトトギスの意)以外にもさまざまあって。中でも有名なのは「獺祭書屋主人」。獺はカワウソ。ぐぅ好き。