時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『美的生活とニイチエ』登張竹風

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『美的生活論とニイチエ』登張竹風.先日postした高山樗牛の美的生活とはなんぞやという論説の主賛同者。そういえば我、本能イコール性欲というのかい? それだけじゃねぇでしょうとか言ってましたが。「美的生活とは、単なる本能満足や性的満足ばかりではなく、それが何であれ、命を燃え尽くすほどの人生の目的を見出した人々が、死をも恐れずその目的に殉ずる生活を意味し、人間に最終的安心と平和のよりどころを与えるもの」(杉田弘子『漱石の「猫」とニーチェ』より)となってましたすみません。命を燃え尽くすほどの人生の目的。そうね(悶絶 ←またあらぬ妄想を.高山樗牛は一言もニーチェの名前を出してないのだけれど。美的生活論が出て賛否の論争が巻き起こったとき、この登張さんがこれを批判してるやつはニーチェ知らんのやな、まずニーチェ読めや、と言ってて。これはニーチェの思想に基づく論である、と。登張さん以外はほぼ、本能礼賛はどうなんとか道徳はどうでもええのかとかっていう批判がほとんどだったそうで。.坪内逍遥は批判側としてニーチェの存在に震撼したひとで。教育者としてその思想が若者に影響を与えることの危惧を抱き、本気で憤慨し、読売という大新聞に長々連載して、ニーチェ、高山樗牛&登張竹風の批判をしまくり。「社会のバチルス」とか(言い方)。で、そちらの意見が世間に浸透した、と。新聞てすげえな。.登張竹風はそのころ既にニーチェ通の第一人者とされていたひと。東京帝大独文科でカール・フローレンツからその思想を学び弟子となり。同時に哲学科では講師ラファエル・フォン・ケーベルがニーチェを講じていた、と。ケーベルはニーチェ思想そのものには批判的だったけれど、当時のヨーロッパ新思想を日本に紹介する役目を担っていらした、と。そう。ケーベル先生。学生に愛されて、他学科の学生も多く講義に出席したとか。夏目漱石先生の随想でお馴染み。くそう繋がる〜(悶..で、知識道徳の相対的価値という論旨について、登張竹風もこう言ってる。「ニイチエが智識及道徳を罵れるは、知識道徳その者を憎むに非ずして、知識及道徳が人類本来の自由の本能及威力の意志を圧倒するが為なり。されば学者及道徳家にして、その知識及道徳に絶対的価値を賦与し、自ら威武も屈する能はず、富貴も淫する能はざる大勇猛心を有するに至らば、其威力の意志は、芸術家のそれと毫も異なる所無し。之を美的生活といふ、何の妨かあらむ。」.31歳で夭折した高山樗牛。その猛烈に短い約九年間の評論活動の中で時期が3つにも分けられるそうで。哲学と創作時代、日本主義時代、個人主義・ニーチェ主義・日蓮崇拝時代。もし高山樗牛がも少し長生きしてたらどこまで考えが発展してたのかなぁ、とか。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#登張竹風#高山樗牛#青空文庫