時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『ニーチェ入門』竹田青嗣

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『ニーチェ入門』竹田青嗣.ええと。宮本浩次副読本の入門編。はじめのニーチェ。てか我よ。お前はどこまで行くんだい?.先生本(何)は他にもいろいろあるのだけれど太宰治は避けて通ってるな(何故)。中学生のころ「人間失格」読みかけて、あ、このひと読んだら人生変わる と脳内警告音がなり。以来授業以外では未読というひと。安全第一。や、流石にもうそろそろ読んでもいいでしょう。←GOサイン?..<ニーチェ思想の三本柱>・キリスト教および近代哲学の「真理」と「道徳」観念への批判・「ヨーロッパのニヒリズム」についての根本的考察・これまでのすべての「価値の顚倒」と、新しい「価値の創造」の思想..「神は死んだ」「ルサンチマン」「超人」「永遠回帰」.道徳の起源は恐怖や不安にあり、人間は自己の存在意味の根拠を捏造しなければならなかった。キリスト教は、“聖なる神”という人間とは超越した理想を立てることで、人間の脱却しがたい動物本能を”神に対する負い目(罪責)”と解釈し変える。隣人愛思想は利他性を是とし、利己性を否定する。自分の”快”、”悦び”を求めることは”悪”となり、自身の存在それ自体を”疚しいもの”と考えるに至る。.キリスト教の道徳は、人間の生を苦悩に満ちたものとしてしまう。近代哲学、科学においても、絶対的に正しいもの=真理を追い求めようとし、真理以外のものは誤謬であり悪であるという考えに縛られる。.しかし、そもそも世界の存在それ自体には何の意味もない。世界は、始まりも終わりもなく、したがって動機も目的も意味もなく、いわば永遠運動する自動機械のようにただ単に存在しているにすぎない。世界の根源的「無意味性」。ニーチェはキリスト教と形而上学から決定的に訣別する。.価値の判断基準を自己の外側(神、真理、他者)に求めていれば、ルサンチマン(弱者が強者に対して憤り・怨恨・憎悪・非難の感情を持つこと)を持つことにもなるし、ルサンチマンを持つものが生に堪えて生き続けるための余儀ない手段としての道徳が絶対的な支配者となる、と。.ええと。単に無神論からのニヒリズムへの流れということではなく。苦悩が無限に繰り返されるだけでなく、幸福もまた無限に繰り返されるので、その幸福を抱いて生を是認し、肯定せよ、と。「何のために生きるのか」という問いに答えは存在せず、そのことを受け入れ「いかに生きるのか」を自分自身で選べ、自分を強くもて、ルサンチマンを克服せる超人たれ、と。..「人間って何だ? 戦う存在。 いってみりゃあ自分を 越えていく存在。」.宮本先生がずっと戦い続けていたものとは。外側の価値を良しとし流されゆく浮世であり、その浮世に翻弄されもがく宮本先生自身であり。.「スーパーマンになるしかないかい?」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#竹田青嗣#ニーチェこの本置いといたら娘がぱらっと目次を読んでおり「ふわぁ、わからんっ」とあっさり本を閉じていたが。しばらくして「はじめのにーーぃちぇっ」とだるまさんがころんだをはじめようとしていた。何を転ばすんだろう。ヘーゲルさんがこーろんだ、とか(シュールそしてすこしホラー)。←えっ