時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『窮死』『病牀録』国木田独歩

そういえば。芥川の龍さんが晩年に書いた『河童』の中でさらっと独歩をこう言っている。

「これは国木田独歩です。轢死する人足の心もちをはっきり知っていた詩人です」

 

自死への強い思いを抱いている龍さんが独歩をこう評価をすること。むむむ。

でも好きでいてくれてありがとうね龍さん(誰目線

龍さんは独歩のことを詩人と言ってくださるのよね…。

 

深掘りしてたら立命館大学さんの論文、芦谷信和先生の『国木田独歩の気質的側面』を発見し、ずっと「それな!!」を繰り返し悶絶している(狂)。もう。妄想が止まらず垂涎(何

 

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『窮死』『病牀録』国木田独歩今回も長い。すまない。独歩のことはつい。.独歩は『病牀録』(真山青果が独歩の口述を記録)で『窮死』についてこう言う。.「余は『窮死』の結末に於いて、”どうにも斯うにもやりきれなくて倒れた。”と言へり。自殺者の心事を説明するに、何程考ふるも他に適當なる言葉なく、空しく二日を費やして漸く考へ得たるは卽ち此一句なり。或日大久保へ歸る途中にて悲惨なる轢死者の最後を目撃して、歸途余は彼の心事を思ひて、ホロホロと泣きながら家に歸れり。其時の感想を材料として、自殺者の餘儀なき運命を描きたるが卽ち『窮死』一篇なり。筆を執っても余は泣きつゝ書けり」.『窮死』主人公の文公は肺を患い、その日の仕事にも金にも困り、周りからももう長くないと思われている。自分が長くはないという思いを忘れたくても忘れられない。.文公の絶望的無我の境地と、その当時の独歩自身の"経済的問題(資金調達失敗、経営不振による破産)"、"肺結核の徴候(当時不治の病)"等の晩年の苦しみ・孤独・絶望を重ねているようで。.もうどうすることもできない 身動きが取れない という慟哭。.だが独歩は『窮死』の中でその叫びを、救済されぬ者の苦しみを直接表すことはせず。文公に何か語らせることもせず。結末も淡々と描く。.「新宿赤羽間の鉄道線路に一人の轢死者が見つかった。 (中略) 此一物は姓名も原籍も不明といふので例の通り仮埋葬の処置を受けた。これが文公の最後であつた」.「物」としての轢死者文公。あまりにも静かな俯瞰。強く、激しい生への思いを持つ一方で、厳粛に現実を見つめる独歩の姿。..独歩は『病牀録』の中でこう吐露している。.「不治症に絶望して自殺したる者ありとするも、そは決して不治症其事の爲めに自殺したるには非ずして、他に何等か生き得られざる餘儀なき事實の爲めに自殺したるなり。偶々不治症は其自殺者の決心を一層鞏固ならしめたるに過ぎず。自殺の根本原因には非ざるなり。眼前に死の問題を控へながら、生き得らるゝ一分の望みあらば、人は到底自らを殺し得る者に非ず。如何にしても生存の途に窮し、生存する一分の望なき時に於て、餘儀なく人は自殺するなり」.文公は、生きる望みはもう何もないと静かに悟ってしまったということだろうか。..あまりの病苦に堪え兼ね、家人にピストル・短刀を枕元に置けと懇願した独歩。結局自死はされず、最後は病死を覚悟し静かに息を引き取る。享年三十六。.病床で独歩は「われ病牀に囚はれて始めて友人の貴きを知れり。咳嗽發熱如何に苦しき時にても、闥を排して入り來る親友の顔を見れば、病半ば癒えたる心地す。余のための注射劑なり」と大切な友人達の存在を思い、「變化ある窓外の景色に接し得らるゝ其一事」を願った。.友の間で人気と尊敬を集めたいたずら好きで無邪気で天真爛漫な"サークルの帝王"。多くの仲間に包まれ、大事にされ愛されて生きてきたこと、決して孤独ではなかったこと。独歩は最後にそれを覚る。..またみんなと、そのへん適当にぶらぶら散歩してぇよなぁ。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#国木田独歩『窮死』は青空文庫でも読めます。ご興味あればぜひ。