時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『まぼろし』国木田独歩

※検索でこちらにたどり着いた学生さんたちへ。これは確実に妄想なのでスルーした方が身のためです。

なんかね。若き頃の宮本浩次先生。江戸から明治に変わってからの時代に取り残された、変わることを余儀なくされている青年とご自身と重ねていたようで。つい。

 

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まぼろし国木田独歩
作品集『武蔵野』の中に入っている。「絶望」と「渠(かれ)」の二編合わせて『まぼろし』。

「絶望」
[鉛のような絶望が今や渠の胸を圧して来た。渠は静にその手をあげて、丁寧に襟をあわした。「死ぬるほどの傷を受けた人は恰度こんな風に穏かなものさ」と渠は思った。「幻影(まぼろし)のように彼女(あれ)は現われて来て又た幻影のように消えてしまった……至極尤のことである、自分(おれ)は兼ねて待ちうけていた」]。

姿を消した女性から別れを手紙で告げられた文造。独歩もまた愛した女性に失踪されている。静かな絶望。どこか他人事のように彼女をまぼろしのようであったと想おうとする。だがすぐに彼女の姿を想い起こし、

「堪ゆ可からざる悲痛が胸を衝て来た。荒ら荒らしく頭を壁に押しつけて悶いた。坐ぶとんに顔を埋めて暫時(しばら)く声を呑んで哭した」。


ところで(いちいち妄想してますよ)。

" 悲しいときには涙なんかこぼれない " .

" あなたの優しいうたも 全部 幻
そんなこたねえか
俺はただ 笑うだけさ " 

自らを欺かねばならないほどの悲痛な叫びを想うと、ね。泣いちゃう。
ーーーー
「渠」
「渠は明治の時代を作るために幾分の力を奮った男であって、それで遂にこの時代の精神に触れず、この時代の空気を呼吸していながら今を罵り昔を誇り」

明治の時代にもがいている「渠(かれ)」を見ている「自分」。時代に閉ざされ疎外されていく「明治ノ青年」たちの屈折。

「自分は渠が投げだしたように笑うのを見るたびに泣きたく思った」。

「もう渠とても自家(おのれ)の運命の末がそろそろ恐くなって来たに違いない。凡そ自分の運命の末を恐がるその恐れほど惨痛のものがあろうか。而も渠には言うに言われぬ無念がまだ折り折り古い打傷のように渠の髄を悩ますかと思うと堪らなくなってくる。渠の友の或者は参議になった、或者は神に祭られた。今の時代の人々は彼等を謳歌している。そして渠は今の時代の精神に触れないばかりに、今の時代を罵るばかりにこの有様に落ちてしまった」。

そして、

「渠の姿は夕闇のうちに消えて了った、まぼろしのように」。



" 戦う術を失う
我らは いたずらにその身体
秋風にさらしている"

" ああ さよならさ 滅びし日本の姿よ
さよならさ 我らが青き夢よ
さよならさ 我らが青き日々よ "


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