時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『十年前の田園生活』国木田独歩

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『十年前の田園生活』国木田独歩.さて。本日6/23は独歩忌です。という訳で独歩を読みます。こちらは明治40年に出されたものです。このときから十年前、そう、ちょうど「渋谷村」に住んであれこれ考えてたころを回想されてるお話です。明治29年初秋から翌年春近くまでの田園生活。彼の武蔵野です。『武蔵野』に描かれている話はこの時期に得たものです。.「いろいろな事がありました」。当時の独歩は信子に逃げられ「激しい煩悶になやまされて」孤独な一人暮らしを渋谷村ですることを決め、一日の半分を独り散歩に費やしていて、そのころ知り合った田山君たちをも散歩に巻き込み、詩人としての運命を突き進む決意をしています。女中を頼んだら「別荘」というので立派な旦那がいると思ってやってきたのか、僕を見て三日ほどで消えていなくなったとかなんとか。猛烈な孤独感の割に生活自体は楽しかったのだ と振り返ってはおられますが。.そのころに書いた日記です と紹介されているのをそのまま抜粋(振り仮名入れました)。明治30年1月14日に書かれたとのこと。長いです。.ーーーーーーーーーー嗚呼われは此孤屋(このこおく)を愛す。今われ獨り住む、人の聲あたりに聞えず。世の波の音、聞くべくもあらず。たゞ梢を渡る風の音の遠く聞ゆるのみ。たゞ雪融て落つる滴聲(てきせい)の軒をめぐるのみ。あゝ彼の遠き音は冬の夜寒の聲なるかも。われ此聲を聞けば遠き國の戀人が音信を聞く心地して哀感を催す。われ實に此孤屋を愛す。聲はりあげて歌はんも心のまゝなり。聲はりあげて泣なかんも心のまゝなり。聲はりあげて祈らんも心のまゝなり。われたゞ獨り此野中の孤屋に坐す。われ今こそ赤裸々のわれなり。遠き友を思ひ、過ぎし昔を思ひ、老ひたる親を懐ひ、戀の夢を思ふ。天地悠々の感自(おのづ)から沸き、哀々たる情自然に發す。嗚呼われ此孤屋の獨坐を愛す。夜半獨り眠らず孤燈に對(むか)つて坐す。泣かず、歌はず、祈らず、且つ自から淚數行下る。嗚呼われ此孤屋の獨坐の默思を好む。ーーーーーーーーーー.声を張り上げたい気持ちでいっぱいだったのにいざ暮らしてみると泣き叫ぶでもなく歌うでもなく、ただ涙しか出ない、と。.もうねぐるぐるぐるぐる考え続けてたのよねホンマごはんいっぱいたべていっぱい寝て長生きして欲しかったわ…。←独歩に関してはついこればっか言いますよ..#読書#読書記録#books#bookstagram#国木田独歩#独歩忌