時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『獨歩と武蔵野』齋藤弔花

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『獨歩と武蔵野』より『祈り得ぬ獨歩』齋藤弔花.齋藤弔花は独歩の友人。鎌倉で家を借りて同居したりしている。この本は『武蔵野』メインの内容になっているけれど、独歩の普段の様子や人柄などを紹介したりもしていてとてもありがとうございますな逸品。..『祈り得ぬ獨歩』は晩年、病床にある独歩の話。宗教の師である植村正久が独歩に”君も祈れ”と促した際の独歩の言葉を残している。.『先生は唯禱れといふ。禱れば一切のことが解決するだらうか。それは實に容易な事ある。しかし私は禱れない。祈る文句は極めて簡易。而かも祈の心は得難い。私の求むるところは、其祈り得ぬ心を救って戴きたいことです。それです。衷心から禱を捧ぐることを得たなれば、その時は初めて直ちに救はれ得るだらう』。.「キリスト者のいふところの神の願ひ、祈りさへ彼の信念は斥けた」。..弔花は独歩をこう称する。「獨歩の一生を貫いて、その世に立つたその姿は「毅然」の二字で畫きる。彼ほど明白に自己を立通したものはない。而かも彼がしかく自から守るところがあり得たのは、その思想の根底に於て、人生の悠久に對する驚異の観念に終始し得た眞實心の賜である」。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#齋藤弔花#国木田独歩何だろうな。祈と禱の使い分けがよくわからんぞ弔花よ(友人か)。