時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『東京の空』宮本浩次

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『東京の空』宮本浩次.2003年8月初版発行。宮本先生37歳。久々。再々々々々…何読?収められている随想は、1999〜2003年に雑誌に掲載された連載もの。.このころ。あー、ミヤジ、ビューネのCM出てくんねぇかな と割と本気で思ってたのを急に思い出しました。30代でも激可愛いし、”俺もビューネ肌…”なんつったら爆買いするのにな、とか。いやぁ(照)。←何照.ええと、多分その時流れてたのは押尾学さんだけど。でもスの中では初代ビューネくんの藤木直人さんのイメージもずっと残ってて。.これ、ミヤジやれんのになー って。そういえばずっとミヤジ呼びしてたわ。若かったわ我。あとCD買いに行った時とか、店員さんに向かってエレファントカシマシを意地になって”東京都赤羽”イントネーションで発音してたわ(恥)。若かったわ…。.今思えば、30代でもとかって。そのころの我は今の先生を全然想像できてなかったな。53でも全然変わらない可愛い(人外?)。..さて。先生の書くご自身と東京と仕事である音楽と日常と。なんかもう先生が令和の時代に健やかに生きていらっしゃることがもう奇跡でしかないというか。これだけ混沌とした自己を内省しつづけていて。そういうご自身を俯瞰して笑って、つど「俺は生きる」と結論するからなのだろうけれど。強さなのか、弱さなのか。..そういえば。ifの話なのですが。もし先生が、江戸時代末に青年をしていたら神がかった侍として伝説残して早々に夭折してて(おい)。明治時代に青年をしていたら間違いなく文豪になっていて。大正・昭和初期に青年をしていたらきっと政治家になっていて。昭和中期に青年をしていたらきっとキラッキラの歌謡歌手になっていて。.なんだろうねこのひとは生まれてくる時代が違ってても何かしらで名前が残る方なのだろうなぁと思ってしまいましたよ。..では連載第一回目「東京の空」より抜粋。長いので時々改行してます。.「見てみたまえ‼︎ 電車を乗り継いで都内の喫茶店に這這の体でたどりつき、タバコをくわえながらこの原稿を書く俺(三十三歳、独身)の表情には、涙顔か? 喜悦か? はたまた悲憤か? 不思議にポカンとしたこの表情を何と評すべきだろう。それはお前が最も軽蔑し蹴とばし憎悪したあの”大人”の表情そのものではないか!! 苦しみとあきらめに、目を向けることをやめた敗残者のそんな男の顔ではないか!! .ハハハハ…。バカバカしい。実はそんなことはどうでもいいのさ。ロマンチック街道まっしぐらでも、現実的でも何でもいいや俺は。ただ俺は生きる。きっと俺の表情は言いわけでも何でもなく、誰もがたどりつくあの安易なる結論にたどりついたに過ぎない安心の顔さ。”ただ生きて行く”。. 全宇宙に向かって俺は当たり前の結論だけを繰り返すだろう。ただ生きる。生まれたからには生きる。マヌケな程当たり前のこの結論は俺をふるわせる。」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#宮本浩次#東京の空