時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『世界神話学入門』後藤明

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『世界神話学入門』後藤明.さて。そうね。森博嗣副読本(もはや赤目姫逸脱)。ええと、森先生が「じぶん書店」で読んだ本紹介してらっしゃるのだけど。ぽいやつを拾い読みしてるっていう。こちらはKindle本。.ダラダラと引っかかったとこの列挙。すみません。特にどんな本か説明もなしで。.「またローラシア型神話では言葉が重視され、名前には神秘的な力、いわば言霊が宿ると考える。つまり最初に言葉を発したのは神なので、その神の力を借りて、名前を発生することによって相手を制御できると考えるのだ」.ゴンドワナ型神話では「宇宙あるいは神話の舞台がすでに存在しているところから物語は語られる。太陽や月や天体も地上あるいは地下から現れた」。「人間は自然や動物、あるいは天空の一部であり、また現在でもそうなのだ」。.「海は最初から存在したと語られることが多い。世界の始まりは具体的な話題から説き起こされ、宇宙は空の人々が住む世界であり、一方、死者たちは生者と同じように暮らしている」。「そして多くの地域で蛇が最初の存在とされる」。.セルクナム族の「最初のとき」。「当初、人間たちは生きたいだけ生きることができていたが、やがて祖先クワイップが、人間は死ぬ運命になるべしと宣言した。これ以降、人間たちは死んで動物、星、風あるいは地形になるようになった」。 .ゴンドワナ神話では「自然現象が、かつては動物ないし人間だったという話である。カラハリ・サン族によれば、風はかつては鳥であった」。 ..『「私は死ぬ、しかし死んでも生きている」』.ローラシア型神話群では「宇宙と世界のサイクルは、人間の体、その誕生、成長、老化、そして死と対比して語られる。これは人類最古の世界観あるいはイデオロギーといえるだろう」。.「ローラシア型神話のストーリーラインは人間の成長と死と対比的である。またそれは、人間の現状を説明する手段、すなわち「なぜわれわれはここにいるのか」を象徴的に答えようとするものである。これはゴーギャンの「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか?」という問い、あるいはカントの「私は何を知ることが出来るのか、私は何をなすべきか、私は何を望むべきか?」という問いに対する回答である。」.「脱皮型死の起源神話」。「かつて人間は蛇のように脱皮していたのだが、何らかのきっかけで脱皮できなくなったために死ぬ運命になったという話」。.「インドのダンワル族も昔、人間は不死だったと伝える。」.「アボリジニたちの思想には、「すべてのものは、すべてのものに繋がっている」という考えが根幹にある。すなわち人間も動物も森羅万象もそれぞれが役割を果たしており、それぞれが存在する権利を持ち、意味のないものはないとされる。」.「すべての要素が互いに互いを支え合っている、そしてどこかが欠落すれば全体のバランスが崩れる。籠を解いていってもどこにも世界の神秘などは存在しない。なぜなら、その籠そのものが世界だからだ。人間も動物も風や天体などの森羅万象も、互いが互いを頼り合い、互いが互いを参照する。そこにはどれがより大事ということはない。上も下もない。だから支配も被支配も、権力も搾取も無縁である。」.「カラハリのサンもアボリジニも自分たちは旅をしている、と考えるという。そこには季節的に空間を移動しているという意味だけではなく、時間を旅しているという意味も含まれている。世界は常に流動している。川も海も、雲も風も、太陽も星も。その流れに逆らわずに生きていく。」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#後藤明#世界神話学入門.#森博嗣