時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』佐々木閑

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『別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』佐々木閑.そう。ええと。森博嗣副読本(もういいって?)。まだまだあるの。「百年シリーズ」で「曼荼羅」がシンボリックな存在になってる以上もう仏教に踏みこまざるを得なくて。えーと、やはり華厳経、密教のあたりを拾い読み。こちらは青年と研究者の対話という形式。現代の若者でもわかるよう噛み砕かれていて大変読みやすかった助かった(何)。というわけで備忘録列挙。..「そこで『華厳経』は次のようなアイデアを考えました。「別の世界にいるブッダが移動できないのなら、ブッダが自らの映像を私たちの世界に送ってくれると考えれば良いではないか」と」「『華厳経』では、「バーチャルはリアルである」ととらえたのです。」.「インターネットにはネットワークの中心というものがありません。ネットワーク全体が一つの存在です。これが毘盧遮那仏です。各世界のブッダは毘盧遮那仏というネット本体の先にそれぞれ存在しています。さらにそれぞれのブッダからまた別の世界のブッダが放射状につながり、無限のブッダ世界が宇宙に広がっています。」.「一見、個々のブッダ世界は独立しているように見えますが、すべてのブッダは毘盧遮那仏とつながっているため、毘盧遮那仏は個として存在していながらもすべてのネットワークを覆いつくす巨大な存在と見なすことができます。そう考えていくと「無限に存在するすべてのブッダは、毘盧遮那仏そのものである」とも言える。」←もうこのへん四季すぎる.「「一即多・多即一」の考え方は、合わせ鏡と言うよりも「フラクタル」の概念をイメージしていただいたほうが良いでしょう。フラクタルとは、一つのものの中に無限の繰り返しが含まれていて、細かく見ていくとそこにはいくらでも相似形の個が出てくるけれども、遠くから見れば一つの個に見える、と言う幾何学的世界観のことです。それと同じく、一微塵の中には無限の宇宙が存在していて、同時に無限の宇宙は一微塵と同じであると言うのが「一即多・多即一」で表現される『華厳経』の世界観です。」.「われわれが知っている人間の形をした釈迦というブッダは、その「宇宙仏」からメッセンジャとしてこの世界に送り込まれた3D映像の「人間仏」と思っていいでしょう」「毘盧遮那仏(ヴァイローチャナ)とは「光輝くもの」という意味なので、太陽の象徴です。『華厳経』は宇宙をテーマにしたお経ですから、宇宙の中心にあって、すべてのものに対して平等にエネルギーを投げかけてくれる最も強いパワーを持った存在としての太陽を、毘盧遮那仏と重ねて考えるようになったのは至極当然」.「真言密教で言う即身成仏とは「生きたまま仏の境地に至る」ことです」「すでにブッダのいる宇宙の中に私たちは生きているのだから、それに気づけば誰もがブッダになれる、というのが密教の悟りについての考え方です」.「密教においては、「私たちがどうすればブッダになれるのか」という問題は、すでに解決済みというスタンスです。「自分がすでにブッダであることを自覚する」ということが、唯一必須の作業なのです」.「お釈迦様は諸行無常を説いたわけですから、永遠不変の自我であるアートマンの存在を認めていません。逆に自我を想定するからこそ、人間は苦しむことになると考え、「自我がある」という思いを消滅させる修行へと向かったのです」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#佐々木閑.#森博嗣#百年シリーズもうね。赤目姫が落ち着いたら俺『V.』読むことに決めてんだ。佐藤先生新訳の方の。残りの夏休みはこれに没頭し雑念を振り払え。ステンシルよ我に立ち返りこんな自分を肯定せよ落ち着け(何)。ホンマ何するにも深掘りしすぎで時々今何処にいてこれから何処に向かおうとしてるのかわからなくなる。生活を置いてけぼりにしないよう自戒。