時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『人間失格』太宰治

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『人間失格』太宰治.そう。こちらも宮本先生副読本。ええと、太宰解禁です(何)。しっかり読んだのは人生初。これ、中学生の頃読みかけて、連れてかれるという漠然とした不安を抱き封印したものです。そのまま太宰作品まるごと君子危うきに近寄らず案件でした。なんて厨二。.というわけで、太宰がどのような人物なのかもあまり存じ上げずです。この作品はほぼ自伝ではとされているようですが綿密に作り込まれてもいるとか。ふむ。作り込まれているのだろうなというのはなんとなく読みやすさで分かります。あれだけ重い内容を一気に読ませる力。.彼はこの作品で何を伝えたかったのか。「伝える」ではないな。何だろう書かずにはいられなかったのだろうけれど。単純に幼少期の心的外傷、父親との関係不全が根っこにある性格形成とか、キリスト教道徳と自己の生活との齟齬とか、そんなだけじゃなくて。..「つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。」.そもそも、「人間のことがわからない」という。空腹感とは。何のために生きるのか。ひとの苦しみ、ひとは何を考えて生きているのか。生活とは。人間とは。わからないという自覚ははっきりしていて、そう思う自分はひとりだけおかしいのではないかという不安と恐怖。.人間不信と人間への不安、恐怖から編み出したのが「道化」。葉蔵が人間と繋がれる唯一の手段。見破られるのを恐れ、「彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら」という願いから、必死で本当の自分を隠し道化ることで周りを「欺き」続け。.自分は人間の「真理を行う力がないのだから」という絶望は、人間を欺き、家族、同志、女性からの逃走、裏切りを重ねていくうちに罪の意識を生み。.「神に問う。信頼は罪なりや。」神に問うているけれど。きっと自分自身への問いかけで。「神に問う。無抵抗は罪なりや?」絶望、虚無。究極のニヒリズム。葉蔵は”超人”になれず、気づけば外側から「生ける屍」「人間失格」の烙印を押され。外側からの価値判断に怯え、またそれに依存もしていて、自分を恥じ。.きっとひとがそう思ってるのだから自分は人間失格なのでしょう。「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます」。..「罪のアントニム(対義語)」、そして「罪の実体」が一体何なのか。それを「神さまのようないい子」とマダムに言われた葉蔵が思い至れていたら。それがもしわかっていたら、もしかしたら「人間」として暮らしてゆけたのではないかしら。とか。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#太宰治#青空文庫これ読む前にニーチェ読んでたの、なんか呼ばれてたのかしら(何)。続けて『彼は昔の彼ならず』読む。てか読んだ。どうしようやべえイントロが部屋すぎる。そして適当なことを並べて日々をやりすごそうとするあの感じもう(何