時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

あのころの先生。

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さて。最近ついったさんをチラチラ見るようになっているのですけれど。そこでお見かけした数年前の佐久間さんのインタビュー記事を拝読しまして。ええと。そこはかとない悲しみを感じてしまったので少し宮本考。←果たして少しかな.そう。いつだったか我はpostで佐久間さんに提示された宿題が「愛」という記述をしましたがあれ、違いますね。簡単に撤回します。『東京の空』で一旦すべての自己表現を完結させてしまった宮本先生に突きつけられた契約解除。「自分の好きなことをやっていたら届かない」という厳然とした事実。一般的自尊心こじらせ男子であれば死に向かって一直線になるところ、先生はそうならなかった。.自分の歌は凄くいいものである。だがそれを世間に認知させるにはどうしたらいいか。どうせ一度終わった俺の青春。なら今までやってきてないことやってみたらどうなる と突き詰めて考えて、あ、そうか、もっと軽やかなん作ればいいんだ、と。試しにいくつか「世間が気にいるような」曲を作ってみました。こんなことも実はやろうと思えば簡単に出来ます。ほら、僕、稀代のメロディメーカであり、うたうたいですから。あ、世間を見下したりなんか、してませんよ?.という流れなのであった。さらに受け入れられやすいものの外せない要素としての「愛」。ポップに、爽やかに。これを歌詞に入れ込むこと。あなたへむけて歌ってみたらきっと世間一般に広く認知されるだろう、と。ひとから言われたのではない。あくまで、自分で決めたのだ。今までの自分を封印することを。自分の音楽を聴いてもらうために。自分の歌声が街中に流れるようにするために。.で、『ココロに花を』。新しい会社で、新しくプロデューサをお迎えすることになって。自分たちだけで完結してた世界から冷静で客観的な外からの空気を流し込まれて。結果、みんなが聴いてくれるようになったから、それでいいんだよね? もっとこの路線で行くからね? 今、僕とっても楽しいです。ねぇ、だいじょうぶかな俺?.もう我はテレビ番組でエキセントリックと思われがちな言動の中に時折チラッと覗く先生の雨に濡れた子犬のような眼を拝見するようになってもうダメだーミヤジこれ以上自分を追い詰めないでーーーーっ と祈っていたものでした。嗚呼。..というわけで佐久間さんのインタビュー記事の話に戻るのですが。宮本先生の歌の力量をダントツだと絶賛してて。歌唱能力の異常さ、飛び抜け方。で。宮本くんは歌詞をやたら間違えるのだ、と。以下引用。「「言葉なんかどうでもいい、言葉を歌ってるわけじゃない」と。だから歌ってる時に、どんどんエモーショナルになってくると、言葉から意識が外れちゃう。で、間違えるたびにだんだんイライラがつのってくるわけですよ(笑)。」.きっと佐久間さんには1stから7thまでの魂の叫びを単純に存じ上げていらっしゃらなかったのかな、とか。ちょうど「言葉なんかどうでもいい」という結論に至ってしまったときの先生だったからそうなったんだろうなぁ、とか。心の底から出てきてないからそら歌詞も覚わらないわよね…。.このあたりから、絶望したことがないとか悲しいとかがあまりよくわからないとか、負の感情に対してふわっとした他人事めいたことを言うようになるのよね…。..さて。どうしてもあのころの宮本先生が色々衝撃だったのでそこばっか焦点をあててしまう俺ですが。現在の先生は『ココロに花を』と『明日に向かって走れー月夜の歌ー』をエレカシの中で最もいいものと位置付けておられてて。それに救われて今の自分があるというのを実感しておられて。で、自分の好きなものを好きって素直に出せて、閉じ込めている存在もなく自分の今をまっすぐに肯定しておられるので非常に健やかで大変よくできましたなのであるよ(感涙)。..#宮本浩次#宮本散歩中お写真いずれもぼけぼけですみません。しかしあのころの石くん超美形だな(今もですよ