時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『「赤い鳥」の童謡について』鈴木三重吉

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『「赤い鳥」の童謡について』鈴木三重吉鈴木三重吉全集第五巻(1938年岩波書店出版)より.三重吉兄さん。←勝手に兄さん呼び ←そんな我は三重吉馬鹿なぜ兄さんが童話、童謡に首を突っ込むもといその生涯を捧げることになったかというと、そもそもご自身が小説を純粋な執筆欲ではなく、生活や当座の金のために書くということに嫌気がさしていたのに加えて、大正五年六月に長女すずさんが誕生したのが大きくて。「私の作篇について」という随想でも述べられているけれど。外に出すつもりもなく、ただすずさんにお話をしてあげたくて、「湖水の女」をはじめとした童話をとりあえず三篇書いた、と。.で、凝り性の兄さんはそこから火がついたように童話をやたらと書き出して。メルヘンの世界に自分がどっぷりハマり。すぐ児童のための雑誌を出版しようとなったとか。もう大正七年七月には「赤い鳥」がスタートしているのでそのハマりぶりも恐ろしいものがあるのだけれど。..童謡について。その当時は国によって作られた唱歌、外国曲に歌詞をつけたもの、校歌、軍歌ばかりで、「日本人は謳ふべき歌というものを殆ど全然持つていない國民である」と。誠に気の利いた歌がない、と。おとなはまあいいとして「一ばん哀れなのはわれわれお互の子供たちである。子供は小鳥と同じやうに、本能的に歌をうたはないでは生きてゐられない人間である」。小学唱歌という六冊の歌曲集があるが、「その歌章は實に低劣愚俗極まるものである」。まぁ散々な物言いなのだけれど。.で、こどものために本当に良いものを、と「今の日本の第一流の藝術家の努力を集めて、毎月、選びに選んだ純藝術的な謡と一しよに、同じく、子供がどうしても謡はないではゐられないやうな牽引に充ちた至純な曲譜を」発表するのだ、と。.北原白秋と西條八十を絶大の誇りとすべき日本最初の真実なる民謡詩人である、と激賞。「直ちに優れたる古典(クラシック)として永久の生命に輝くべき」と三重吉兄さんがスタートの時点で言っていたことが本当になっていて、100年経った令和の今でも歌い継がれている。むむむ。.童話に限らず、日本の童謡に多大な貢献を結果的にしてしまった方で。すげぇな。自分にこどもが出来た ということがホンマに人生を変えている。..「赤い鳥」の童謡を録音させてくれた歌い手のこどもたちに対しての一節。.「「赤い鳥」唱歌會の令嬢たちは下手でも何でも、貴い純性に生きてゐる少女である。私はその下手さそのものゝ中に伴はれてゐる、その人々の純な生命こそ、却って、われわれの「赤い鳥」童謡を謡つてもらふについての、第一の、そして或は唯一の資格でなければならないと考へてゐる。」.こどもたちが大きな声で、上手い下手関係なしに楽しく歌を歌うということ。今それができているのは三重吉兄さんのおかげではなくって? ←敢えて言おう三重吉馬鹿であると..#読書 #読書記録#books #bookstagram#鈴木三重吉#赤い鳥