時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『夏目漱石先生の追憶』寺田寅彦

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『夏目漱石先生の追憶』寺田寅彦.本日12月9日は漱石忌。ずっと仲良しだった寺田寅彦による漱石先生のあれこれを。.高校在学中に漱石先生から点をもらえるよう働きかけるために初めて先生の家を尋ねたところから話は始まってて。俳句にハマって。書生にして欲しいと言い出したとき、空いてる部屋があるからきてみろと受け入れる姿勢を見せていた漱石。実際はその部屋がガチな物置だったためしょげてしまい退却したとかで。でも、今思うに、それでもいいと言ったらきっと先生は「畳も敷いてきれいにしてくれたであったろう」と当時の自分の勇気のなさを振り返っていたり。.漱石の普段の様子がよくわかる。ずっと近くにいたんだなぁ としみじみ思う。.「象牙のブックナイフはその後先端が少し欠けたのを、自分が小刀で削って形を直してあげたこともあった。時代をつけると言ってしょっちゅう頬や鼻へこすりつけるので脂が滲透して鼈甲色になっていた」.「草色の羊羹が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった」.「帰り道に精養軒前をぶらぶら歩きながら、先生が、そのグウグウグウというかえるの声のまねをしては実に腹の奥からおかしそうに笑うのであった」.「猫」で先生が一足飛びに有名になってしまったこと、一般科学に対する深い興味とその素養があること、おしゃれでいつも自分の服装にダメ出しをしてきたこと、「先生の謡は巻き舌だと言ったら、ひどいことを言うやつだと言っていつまでもその事を覚えて」いたこと。いろいろ。ちっとも感傷的ではないその文章から溢れ出てくる思い。..自分だけでなく、きっとこんな思いを持つ門下生は多いだろうとした一節を。.「しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。 いろいろな不幸のために心が重くなったときに、先生に会って話をしていると心の重荷がいつのまにか軽くなっていた。不平や煩悶のために心の暗くなった時に先生と相対していると、そういう心の黒雲がきれいに吹き払われ、新しい気分で自分の仕事に全力を注ぐことができた。先生というものの存在そのものが心の糧となり医薬となるのであった。こういう不思議な影響は先生の中のどういうところから流れ出すのであったか、それを分析しうるほどに先生を客観する事は問題であり、またしようとは思わない。」.職業、肩書きではなく、漱石そのものを強く愛していたひとたちのなんと多いことか。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#寺田寅彦#青空文庫#夏目漱石#漱石忌