時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『現代日本文學大系29(筑摩書房)』より『父の手紙と森田さん』夏目伸六

いや、森田さん、翻訳方面でご活躍なさってるのですよ(何フォロー)。

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『父の手紙と森田さん』夏目伸六(『現代日本文學大系29』筑摩書房より).昨日と同じお写真ですけどもね(間違いはいつもひとつ)。.そう。夏目漱石の次男。随筆家。うぃきさんで見てみたところ、「申年に生まれた6番目の子ども」だから「申六」だな、とど直球ネームをつけようとしてた漱石に、小宮豊隆が「先生、いくらなんでも人間の子供ですから、ニンベンをつけて『伸』にしましょう」と進言し難を逃れた方。.そして森田草平。漱石門下四天王のひとり。漱石作品『野分』の登場人物たちの関係のモデルとされている。「みなと違って先生の中で私は特別な存在なのでしょう?」を全面に出す"ナイス自意識!"な痛いお兄さん(何)。.数々の愚行とおイタにも関わらず漱石は森田さんを見捨てることはなく。伸六さんは父漱石と森田草平の関係をこう振り返っている。.「森田さん程父からよく叱られた御弟子はいない」「恐らく父は最初から、この青年には何か頼るべき確固たる支柱が必要だという事を、ある程度見抜いていたのではないかと思うが、とに角これ程父がその成長に気をくばった弟子は、他に余りいない様な気がする」「ある意味では永久に半人前で、容易に一人歩きの出来そうにない森田さんの性格と告白癖が、父の眼には一層心もとなく映った為だともいえるかも知れない」..森田さんの毎日の様に届く超絶長い鬱々とした手紙にひとつずつ真面目に、時にはユーモアを交え森田さんの気持ちをあげてやろうとするお返事を毎回書く漱石先生。そしてそれにさらに依存してゆく森田さん。.平塚らいてうとの心中未遂も、家を引き払っての覚悟の逃避行だったため帰る家がなく、四十日ほど漱石先生の家にお世話になっている。その一連の話を元に『煤煙』を書くが、それを漱石が推薦して朝日に掲載させている。.森田さんに限らず、三羽烏は仕事の世話もされ、発表の機会も与えられ、「父のすることは何事によらずすべて自分達の為にのみしているのだと思いたがる妙な自惚が付纏っていた様である」。..日々先生に叱られ通しの森田さん。ごく稀に褒めてあるお手紙を頂戴したら、肌身離さず持ち歩くか「特別妙な所へしまい込んでしまったのか」、いずれにせよ大事にしすぎて紛失したり。どこか「間の抜けた可愛らしさが」ある森田さんを漱石もほっとけなかったのでしょう。..「特に、どこか底抜けに締めくくりのない森田さんの性格が、父には一番頼りなく気にかかったのではないかと思う。が、こうした父の老婆心が、果してどの程度森田さんの成長にあずかって力があったかは解らない。唯森田さん自身、父の死後に十数年にして、ようやく『煤煙』当時の父の苦言を全面的に承認する事が出来たといっている所を見ると、父の努力が、死後も長く、森田さんを啓発し、教導し続けた事だけは解るのである」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#夏目伸六#森田草平#実子でもないのに最愚息扱い#漱石門下三羽烏#3馬鹿トリオ ←愛を込めて#鈴木三重吉#小宮豊隆#木曜会#夏目漱石#それぞれの愛の形