あなたはどうですか?
<なぜ自分は読書記録をひとにお見せしているか> ということを考えてゐた。
→実はひとにお薦めしてはいないねと気づく。承認欲求とも違う。共感を得ようとするのとも違う。自己満足の範疇ではあると思うが...とつらつら考えてたが、さっき自問自答の末結論した。
俺はこうですが「あなたはどうですか?」(←宮本節)なのである。
「あなたも好きですか?」「あなたも分かってくれますか?」ではない。
自分はこうだ という取扱説明書。
どういうとこを自分がみているのか、自分がどこに引っかかるのかを言葉にすることで自分を再確認できる。初めて気づけることもある。
フィルタが本なのは考えやすいからである。考えることは楽しい。常に脳内散歩中(迷子では)。
ちなみに音楽の場合、即「はぁすきむり」と語彙力崩壊するのであまり向かぬ。
そして、「君はどうだ? 」という思いが強くある。
全く見解が違ってても良い。100%分り合うことはないのだから。同じである必要はなく、腹を立てることもない。
ただ、ひとが何を思うのかを知りたいと思う。小説も好きだが作家の日記や評論、雑記、伝記、手紙がより好きなのはそこからくるのかも。
そういう意味で、皆様の記事を見るのもとても楽しいのです。
なので、ひとに自分の取説をお見せすることにあまり抵抗がない。寧ろステンシル取説をご覧になって新たな人生を歩まれる方もいらっしゃるかもしれないとさえ思う。こんなちっぽけな自分でもである。お薦めはしないし共感されなげなことばかりあげてるが、そのひとが「自分はどうなんだ」と考え込んでくれるきっかけになれば。
昔々にやってたWeb日記。当時働いていた大学のこととか音楽とか本とか脳内で巡ってる思いとか自分の生態をぐだぐだ今のように綴っていたのだが。
実は今の旦那はステンシル日記に初めてコメントをくれた稀有な奴である。奴は「変なことばっか考えて頭煮えてるヤツがいる」と希少動物扱いしてくれた。取説を読んで、奴は人生激変した。申し訳ない(貧乏クジ疑惑)。
まぁ最近は専ら"ミヤジみ"(何)を感じるものを片っ端から漁ってる感が拭いきれません。そういうのを偏執的に収集せずにいられないのもまた自分。そして脳内で様子を映画のようにオールカラーで再生します。時々現実との境目を見失います(狂)。
あなたはどうですか( て言われても)。←置いてきぼり感ぱねぇ