時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

猛烈な自省といろいろ今思うと痛すぎる話。これからどうしたらよいのでしょう。

さて。今ごろ理解した自分の性質のおかげで。今までの自分のアホさ加減に嫌気がさし、これまで関わってくださっていた方々に対する態度への激しい後悔と懺悔の気持ちでいっぱいになっているステンシルです。この歳になっていまさら気づくかね。まぁ気づけただけマシかね。

今5歳くらいに戻りたい。で、そっと耳栓渡したい。

 

今思うと、そもそも大勢のひとが雑多に集まる場所が苦手だった。「外」があまり得意ではなく。激しい水の音が苦手で、当然泳げず。スポーツ観戦も苦手。歓声も苦手。温泉施設など無秩序な音が反響する場所が苦手。ひとの鼻をすする音、激しい高音の咳、くしゃみ、風船の割れる音、とにかくあかん音のオンパレードな人生だった。

盆踊りでかかるヘタりにヘタッたテープの音とこもったマイクからのひとの声が苦手で、運動会も苦手で、カラオケも苦手で、クラスの合唱も苦手で。

そらひとづきあい悪くなるわ。

 

音が調和していなければただの騒音でしかなく。

調和なんてものは一流のプレイヤたちの集まりでもなければ大体叶わぬ話で。日常がしんどくて。

 

そのうち好きな音、聴ける音を選んでそれを集中して聴いてやりすごす癖がつき、結果バンドサウンドや合唱、オケなどもパートごとにバラバラに音を聴きわけるのが普通になって。

 

好きな音は集中して聴いても疲れない。だからそれに依存しているのだと思う。プロではない方々の集まりでアンサンブルなどをされていたりすると、ピアノの音を聴いてしまうとか。よほど調律がずれてない限りはピアノはとても助かるツール。

 

 

中学、高校と吹奏楽部だったのだけれど。別に強豪校でもなんでもなく、いろんなレベルのひとたちの集まりで。

当時自分がそんなめんどくさい奴だと認識していなかったため、音の強弱やピッチや合わせたときの合ってない感じ、個人練習時の雑多バラバラな音などを「もっとひとりひとりが音を正しく出せてればこんなことにはなっていない」と思い続けてた(アホか)。個人の練習不足、向き不向きの話にまで発展させたりしていた。

 

そのくせ、自分も四六時中練習できる環境下にはなかったため上手なのかと言われれば中の上程度。そこは自分でも自覚できたため、ひとに自分の意見をぶつけたりはせず、とにかく自分が文句言われないくらいに上手くなってからだ と自分が完璧になることを求めているうちに中途半端なまま卒業を迎えた。

もしめっちゃうまかったら周りとの摩擦が半端なかったかもしれない。「なんで合わせられないの?」て面と向かって言うひと。

 

 

大学に入り、ドラムを始め、中高と同じ道は歩まぬ と場所が空いてる時はとにかく部室に入り浸ってひたすら練習し。みなが講義に出ている時間を使い。朝8時から夜締め出される20時まで延々。

音の粒だちや長さや質や強弱、いろいろの聴き取りができるのが楽しくてしょうがなかった。音程が捉えづらいドラムという楽器で自在に歌うことができる喜び。のめり込んだ。耳を研ぎ澄ませ、細かいニュアンスの違いなども完コピした。

 

そら上手くもなるわ。あっという間にクレームモンスターになっていた。

自分は練習をしてできるようになった。君たちの努力不足ではないのか。

なぜチューニングが狂ってても平気でギターを弾けるの?

音の長さ、そうじゃないでしょ? そこでブレス入るのおかしくない?

コーラス、ない方がましじゃない?

そもそも音楽に向いてないんじゃない?

 

仲間から言われた「草野球とプロ野球の違い」。お前は「終わった後のビールが楽しみ」っていう草野球チームに間違って入ってきた奴だ と。

 

音楽、やるからには上手くなって、すごいサウンドを仲間で奏でられることが最大の喜びではないのか? と真剣に思っていた(痛いな)。プロの世界であれば、それくらいの厳しさがあってもいいのかもしれないけれど。

 

結局、いろんなジャンルの音を器用に出せるので構成員としては重宝され、あちこちからお呼びがかかり、こちらとしても音を出せる時間が確保できるため全てに首を突っ込んで。

そんな音で満足してていいの? と常に周りにイライラしてて。

 

 

 

もともとピアノは好きで、でも親はなぜか習わせてくれなくて、自分でバイトで金を稼いで電子ピアノを買い、大学4年になってからレッスンに通うようになり。自宅ではまだドラムを叩ける環境ではなかった(卒業後、給料でサイレントドラムを買った)ため、帰宅後は電子ピアノを延々朝まで弾き続け。

卒業後、レッスン先の楽器屋に就職し、就業時間内で週1ピアノとエレクトーンのレッスンを受けられるようになり、すぐにエレクトーンをローンで購入し、半年でヤ*ハの演奏グレードをピアノ、エレクトーンともに6級まで取った。

 

そのため、フロアのおためしレッスンブースを担当することとなり。

5級から指導、演奏グレードともに講師として活動できる資格となっていて、それを目指していたのだが、ピアノで弾くクラシック曲にそもそも疎く、いくら音が聴けても、実際に弾くとなると話は全然別で。コツコツと積み重ねて練習をしてきたわけでもないので圧倒的なテクニック不足。指導者になるには中途半端すぎて。

 

そのころには、レッスンを受けにくるひとたちのバラエティに富んだ「音楽をやりたい理由」を目の当たりにしていて、「音楽をするとはどういうことか」について考えを自然に改めることができた。楽しむための入り口などはとても敷居を低くし、誰でも気軽に触れられるように。そして、触れられたひとはそれだけで幸せなんだ と思えるようになった。

 

が、自分には完璧さを求めてしまい勝手に自滅した。無理なもんは無理って分かっていて、それでもひとにものを教えることはできていたのにこんな自分はダメだと自分を断罪した。

 

 

 

こどもが生まれてから、だいぶ冷静に音楽を見ることができるようになり。音楽に対する姿勢や、音楽の楽しみ方というのは千差万別でそれぞれが好きなようにでいいのだ とか、テクニックがどうこうとかではない世界もある とか。何しろこどもが歌う歌を素直に楽しめるようになって。

 

 

なんだか音楽を心から楽しめてない人生なのかしらと書いてて思うが、音楽は自分から切り離せないくらいの大切なものである。この矛盾。他にないというか。痛いな。

 

猛烈にビックバンドやオーケストラの一体感に憧れを抱くのは踏み込むことができない場所だからでした。もっと自分が何かひとつ、徹底してテクニックを磨いて、一流と呼ばれるひとたちの中で過ごすことができていたら幸せだったのだろうか。

 

ひと自体は大好きで、みんなで集まってひとつのことを完成させたりするそのエネルギーやマンパワーも大好きで。感動しぃなのですぐ泣くのだけれど。

その映像を、実際に発せられてる音を消して感動的な曲だけを載せて観たい(痛いな)。