時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『絶対音感』最相葉月

無自覚であるが故の孤独、ね。勝手に孤独を感じてんじゃねえよっていう自戒。

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『絶対音感』最相葉月.1998年刊行(文庫本は2002年)のものなので、最新事情などは異なるのかもしれませんが。絶対音感の持ち主たちに一斉アタックして得られたことを紹介している。こちらを読んで、さまざまなタイプの絶対音感持ちがいると理解できてとても腑に落ちた。ステレオタイプではないのである。本当にいろいろでびっくりした。..で。ここからは思った本とは全然別の話。自分自身の結論。ステンシルが感じている聴覚過敏、聴覚情報処理異常、脳疲労はこいつが原因であった。とても納得した。知らないことだらけだ。そして、絶対音感はいいことばかりではない。むしろ今までの自身の人生をトータルで振り返ったらあかんことだらけだ。.このように聞こえるのがどういうことなのか、そうではないひとはどうなのか についてもっと早く知っていれば、少しは人生が変わっていたのだろうか。矢野顕子さんなどは生活音などを苦しむことなくとても楽しんでいらっしゃって。..ここで唐突に宮本先生の話。この本読んで今までの先生のいろいろな言動になんか勝手に深く納得した。あくまでも仮説だし勝手な妄想なのだけれど。電波電波。お気を悪くされる方もいらっしゃるかもしれません。申し訳ありません。..先生も多分絶対音感持ち。それを自覚していないタイプ。で、絶対音感持ちによくある「お前らなんでワカンねぇの」という無自覚で素朴な疑問を簡単に周りに発し、なぜできない? とイライラする。下手だとさえ言う。.そもそも立っているところが違うのである。例えば「◯◯みたいな音を」と要求しても、分かってその通りに出せるひとはどれくらいいるだろう。誤解を恐れず簡単に言うと、誰もが「このひとのモノマネしてみて」と言われて練習しまくったとしても果たして実際にできるか? という話。.驚くことに、メンバはその要求にかなり答えてきているのである。実は。すごいよ、トミなんか「ジョンボーナムみたいな音」とか確実に出せてるし。及第点どころではないのだけれど。スネアの音質やら叩き方やら一曲ずつ違うのね。こんな器用な使い分けそこらのドラマーできないよ。どうしても自分のスタイルが固まりがちなタイプの楽器でここまでとは。.それを、脳内で鳴っている自分の求める音の完璧な再現を求める先生には理解できない。個々の能力、努力の問題にすり替えてしまう。いや、単に嫌なパワハラタイプということではなく、素直に不思議に思うひとなのだ。.そしてけちょんけちょんにされ続けたメンバは自分の能力を過小評価していて、決して表立とうとはしない、できない。「求められた音が出せるかどうか」にのみ注力している。自分たちの表現力をどれだけ練習しても信頼しきれないところがあるのではないか。とか。プレッシャにより、それぞれの音、表現力が完全解放できてない感。.もっと他流試合をしたら良いのである。それぞれが誰かメンバ以外のひとと組んで音を奏でる機会をたくさん持つ。と、自分の位置を冷静に見ることができる。ぶっちゃけていうと、もっと自分の能力を信じてハジケればいいと思う。小さい宗教からの解放を。今がいいチャンスなのだと思うのだけれど。.そして先生も、もっといろいろなタイプのひとと音を作ってみたらいい。今は名だたるプレイヤたちと仕事をしているのでピンときていないかもしれない。けれど、自分のメンバは素晴らしい仕事ができている ということを心から受け入れるには、若手からベテランから他流試合をどんどんやるのがいいと思う。先生は客観視ができるはずなので。.もう家族なみの付き合いになっているので、なかなか身内に対する厳しい目というのは変えにくいのかもしれない。でも。素晴らしい、誇れるメンバであることを心から実感し、音を信じて委ねることができた後のバンドの音を聴きたい。...細かい音の違いやリズムの使い分けなど、当たり前に理解し実践する人間が陥る周りとの不協和音。我はこれでバンドを辞めた。複数人数とひとつの音を奏でることの難しさ。自分の性質に気づいてさえいれば、ひとを理解することもできたのか、とか。激しい自己嫌悪。.加齢によりピッチが狂ってきている と以前書いたのだけれど。このまま緩やかに聴覚機能が衰えてくれれば少しは穏やかな暮らしもできるのだろうか。など。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#最相葉月#エレカシ#エレファントカシマシ#宮本浩次#石森敏行#冨永義之#高緑成治