時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『文鳥』鈴木三重吉

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『文鳥』鈴木三重吉.最後は三重吉の『文鳥』。明治42年1月の作。はたしてこれは随想なのか創作なのか、境界が限りなく曖昧で。これも普段の会話から真実に夢想を盛りがちな兄さんの本領発揮というか。すこしふしぎ。.この前、こちらは夏目漱石『文鳥』の後に書かれた後日談的な作品と書きましたが。後日談というか、そもそもなぜ自分が文鳥を思うか という話です。それに随想『私の生立ちと水草のやうな女』(『鈴木三重吉全集』第五巻)の生い立ち部分を織り交ぜて紹介。「水草のやうな女」は『文鳥』の女性とは別です。..「自分」が幼少のころ、桑畑に包まれた小さい町に住み。八つのときに母を病気で亡くし、数年後祖父も亡くなり。父は働きに出るので家に残されるのは祖母と私と下の兄弟と、母の家から来ていた二つ年上の千代という名の女の子。.生まれつきの神経質もあって、下女はいたけれど、繕い物や障子の破れの修繕など家のことは自分であれこれやるようになり。そしてすぐに疲れ。その日一日の自分の言動や考えたことを寝る前に必ず思い返し、自分を責め、人を憎み。..最初に文鳥を飼ったのは、近所の角力取りが、真白の文鳥を見てあれ欲しいとねだった自分のために後から買ってきてくれたもので。まだこどもだった自分は千代と一緒に可愛がっていたが、間もなく死んでしまう。父からはもう鳥を飼うなと言われ。.何年も過ぎてから、千代の簪をお金に替えて、二人の秘密で再び文鳥を飼い始める。しかし或る夜、自分が家に帰って来ると、千代が叔母に連れられて実家へ帰ったことを知る。鳥籠の中に密かに置いてあった手紙を読み、他所へ縁づくことがわかり。「もう再び會はれまい、長く長く會はれまい」と書かれていて。自分は二人で飼っていた真白の文鳥を薄闇の中へ放してしまう。「もう一生涯この鳥は見たくない」と考えて。.学生の時分に神経衰弱で体調を崩し、東京から小さい島へ療養に行き。そこでは「自分の重たい心を紛らすものは何一つ」なく、ふと「久しく忘れてゐた昔の文鳥が何だか再び飼つて見たくなつた」。「やつぱり忘れて了ふ事は出來なかつた」と文鳥のことを思う。..「小さな拙ない自分は、拙ない小さな作を書く。自分の書いたものは自分には悲しかった。書いては直し、書いては直しゝて、いろいろの小さい作を書いた。 自分は悲しい時は先生のところへ行つた。文鳥の忘れられぬ自分は、たうと或日先生に文鳥を買はせた。さうして自分が出かけては世話をして、自分の指圖に從つて歌ふやうに教へてゐたが、この文鳥はいくらもたゝぬうちに、或日先生の留守の時に、終日餌も水も貰へなくて死んでしまつた」.「その夜歸つて來て、籠の中に白く倒れたる小さいものを憫んだ先生は、「文鳥」といふ作を書いて自分に示された。その作の中には自分の名が一枚に七つも八つも鈴嘗(すずなり)に出て來た。千代の名も出て來た。」..「千代千代千代お千代」と啼く小さきもの。百里も先の女を戀ひ戀ひて、飛べば飛んで行けさうな。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#鈴木三重吉#夏目漱石#それぞれの愛の形それぞれの文鳥。三重吉は、先生のお側にいつもいられたら と思っていたのかしら、とか、ね。