時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『妄想』森鷗外

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『妄想』森鷗外.海辺の松林に小家を建てて住む白髪の老人が自身の若いころ=伯林(ベルリン)に留学していたころのことを回顧し、自問しているという話。鷗外50歳の作。当時の50歳てもう晩年なのよね…。.江戸から明治に時代が移り、西洋の全てを取り込もうとする日本。「侍の家に生れた」ため幼少のころ切腹の心得を幾度となく聞いていた鷗外。日本と西洋の生と死に対する思い。哲学書を繙きながら「主人は時間といふことを考へる。生といふことを考へる。死ということを考へる。」.「生れてから今日まで、自分は何をしてゐるか。始終何物かに策(むち)うたれ駆られてゐるやうに学問といふことに齷齪(あくせく)してゐる。これは自分に或る働きが出来るやうに、自分を為上げるのだと思つてゐる。其目的は幾分か達せられるかも知れない。併し自分のしてゐる事は、役者が舞台へ出て或る役を勤めてゐるに過ぎないやうに感ぜられる。その勤めてゐる役の背後に、別に何物かが存在してゐなくてはならないやうに感ぜられる。策うたれ駆られてばかりゐる為めに、その何物かが醒覚する暇がないやうに感ぜられる。」.そうねわかる(語彙力)。学問に限らずよ。そしてとても親和性の高いホンマそれな的文章(何)を列挙してみる。.「未来の幻影を逐うて、現在の事実を蔑にする自分の心は、まだ元の儘である。人の生涯はもう下り坂になつて行くのに、逐うてゐるのはなんの影やら。」.「足ることを知るといふことが、自分には出来ない。自分は永遠なる不平家である。どうしても自分のゐない筈の所に自分がゐるやうである。どうしても灰色の鳥を青い鳥に見ることが出来ないのである。道に迷つてゐるのである。なぜだと問うたところで、それに答へることは出来ない。これは只単純なる事実である。自分の意識の上での事実である。」.「日の要求に安んぜない権利を持つてゐるものは、恐らくは只天才ばかりであらう。自然科学で大発明をするとか、哲学や芸術で大きい思想、大きい作品を生み出すとか云ふ境地に立つたら、自分も現在に満足したのではあるまいか。」..そして、自分には死の恐怖がない と言っていて。かと言ってマインレンデルのような「死の憧憬」もない、と。「かくして最早幾何もなくなつてゐる生涯の残余を、見果てぬ夢の心持で、死を怖れず、死にあこがれずに、主人の翁は送つてゐる。」..ついね。今は違う境地のようですが。なんかつい最近までの先生みたいなこと言ってるなとかね(正に妄想の極致)。今の先生は「その何物かが醒覚」されたようで何より。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#森鷗外#森鴎外#青空文庫#宮本浩次