時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『二百十日』夏目漱石

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『二百十日』夏目漱石.さて。九月です。というわけで漱石先生のこちらを。二百十日に熊本の阿蘇山に登る男二人、という話。漱石も実際に阿蘇山に登っており、さらに嵐により登頂を断念しています。その体験を基に書かれた、と言われています。.豆腐屋の息子で見た目大入道な毬栗頭の圭さんと、どうやら裕福そうな家庭で育ったらしい碌さんが繰り広げる軽妙な会話、会話、会話。.そもそもステンシル、漱石の描く会話が「もう好き、ムリ」なのでね(何)。そう。吾輩は猫であるの奴らの会話が大好物なのと同様です。こちらの作品もほぼ会話ばかりで飽きることがありません。きっと漱石自身そういう仲間とのぐだぐだ話が大好きだったのだろうな、と考えるともうたまりません。..そして、作品から聴こえてくるさまざまな音が読んでいるだけで心地良く。もうね、明治に生まれたかったかもね。あと、お豆腐食べたくなります。豆腐売りの「とおふい、油揚、がんもどき」が聞きたい。「甲府ぃ、お参りぃ、願ほどきぃ」はまた別の話。.あと、「ビールはござりませんばってん、恵比寿ならござります」の下女が好き。たまごを半熟にして持ってきてとお願いして、持ってこられたのが生卵2つ、うで玉子2つ。「半分煮て参じました」。心得顔の下女、とても可愛い。..さて。最悪な天候の中、灰がざんざか降る阿蘇山を歩き、薄の中に消えた(窪みに落っこちた)圭さんと、それを探し当てた碌さんの会話。もう碌さん好き。.「僕の頭が見えるかい」「毬栗の片割れが少し見える」「君ね」「ええ」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#夏目漱石#二百十日#青空文庫九月一日ごろのことを「二百十日」と言います。台風が起こり天候が荒れやすく、農家の三大厄日とされている日。1923年の大震災も九月一日。そのため、二百十日の謂れと合わせてこの日を防災の日とされました。