時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『現代随想全集3 安倍能成・和辻哲郎』より「夏目先生の追憶」安倍能成

木曜会への妄想が止まらない。そろそろ止まってほしい(他人事)。

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『現代随想全集3 安倍能成・和辻哲郎』より「夏目先生の追憶」安倍能成.安倍能成。哲学者であり木曜会メンバ(まだまだ熱いわたくし)。よししげさんとお呼びします。「漱石門下四天王」のうちのひとり。戦後の教育改革を担い、文部大臣も経験されている。「謡」を通じて漱石と親しくなってメンバ入りされた方。.弟子だの門人だのと言われるけれど、自分は夏目先生の創作上の弟子でもなく、思想上の弟子でもない、と述懐しています。でも「ことに人格と教養との点において敬愛を傾け得たる先達としての意味、しかも自分が十分親しみ、懐しみを感じ得られるまでの個人的関係を有した先輩」の意味では「先生」と呼びうる最も代表的な方である、と。.そう。漱石の門人たち、創作活動にもろ影響が出た(漱石コピーみたいな作風)という方は実はあまりおらず、みな先生そのものの魅力に憑かれて集まっているというイメージです。コスプレしたり仕草のマネしたり、「人間・漱石」に影響を受けたひとたちは結構いたようなので、なんとも不思議で。どうでしょう。.虚偽や粉飾には潔癖で、そういう誠意のない者以外には年齢・学識・地位に拘らず誰でも「ひと」として敬意を持って接する という漱石のスタンスがそうさせていて。良きです。..漱石先生への敬愛、傾倒の情がとても強く。自由に無遠慮な批評をし合っていても、お互い誠実な態度は変わらなかったとのこと。それでも四天王の中では一歩引いている佇まいで、(小宮・鈴木・森田みたく)あそこまで自由な態度は取れなかった としている。先生の中へ入り込めなかった自分を「終生の遺憾」と言う。.漱石が亡くなる直前の”最後の木曜会”の話を追憶しています。晩年漱石が到達した境地、「則天去私」について語られていた、と。則天去私、意味をぐぐりましたら”小さな私にとらわれず、身を天地自然にゆだねて生きて行くこと”。.「先生が一方において自己のイゴイズムを痛切に意識する人であつたと同時に、無意識的にはすこぶる自由と洒脱との素質を惠まれた人であつたことである。先生はイゴイズムの陋室のなかにむせぶとともに、また心機一轉してかなり戸外の開豁なる空氣を呼吸しうる人であつた。さうして先生のこの素質が、先生の超脱の方向を規定するにあづかつて力があつたことが考へられると同時に、先生にとつて、かかる道をとられることの自然なことは、我々の同感の容易に追随し得ざる程度であつたらうとも思はれる」。.安倍さんは、漱石のことを猛烈に好きだけれど盲信・全肯定はせず、おかしいやんと思うことは先生に面と向かってダメ出ししある意味対等に論じ、かつ冷静に先生像を観察している。お弟子さん、ほんとバラエティに富んでる。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#安倍能成#あんばいよくなる#漱石門下四天王#鈴木三重吉#小宮豊隆#森田草平#木曜会#夏目漱石#それぞれの愛の形この随想集全巻欲しいぃ