時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『巷の声』永井荷風

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『巷の声』永井荷風.さて。毎度毎度言っててうんざりされている方もおられましょうが。我は文章中に出てくる音の描写につい気がいってしまうのです。この作品もあらゆる音が想起され、しかも聴いたことのない音などが記述されているのでうおおおおおおってなるのです(狂)。.この随想は、町の中で日々飛び交っている「物売の声」の話。物売。もうね(悶絶)。スが小さい頃、まだ実家の周りでは豆腐売りのラッパは響いてて。後は竿竹売り、焼き芋売り。パン屋さん、牛乳屋さんはワゴンカーで週1の移動販売があって。牛乳屋さんは、なんでか「Killing Me Softly」「シェルブールの雨傘」「追憶」「サバの女王」「さらば夏の日」「いそしぎ」のオケアレンジなんかを大音量で流してきてた。曲名、後々になってわかってほおおおってなったんだった。わかった頃にはもう来なくなっていたのだけれど。..下駄の歯入屋、ロシヤのパン屋、豆腐屋の振鐘、羅宇屋のラウーイラウーイという呼び声、研屋、鋳掛屋、雪駄直し、鳥さし、按摩の笛、虫売、風鈴売、葱売、稗蒔売、朝顔売、初夢の宝船売、薬売の手風琴、支那蕎麦屋の唐人笛。.当時は物売が当たり前のように往来してて、音や呼び声を聞きつけて買いに出たりしていて。.羅宇屋。キセルの羅宇(管の部分)を手入れしてくれるひと。鳥さし。とりもちなんかを使って鳥類を捕まえるひと。鳥笛、口笛などで鳥をおびき寄せたりする。鷹匠に鷹の餌となる鳥類を捕獲して打って生業にしてたそうな。もう野鳥の捕獲が禁じられているのでこのお商売のひとはおらず。..昭和二年の作品。その当時でこのような記述。「研屋は今でも折々天秤棒を肩にして、「鋏、庖丁、剃刀研ぎ」と呼わりながら門巷を過るが鋳掛屋の声はいつからともなく耳遠くなってしまった。是れ現代の家庭に在っては台所で使う鍋釜のたぐいも悉く廉価なる粗製品となり、破損すれば直様古きを棄てて新しきを購うようになった為めであろう。何物にかぎらず多年使い馴れた器物を愛惜して、幾度となく之を修繕しつつ使用していたような醇朴な風習が今は既に蕩然として後を断ったのも此の一事によって推知せられる。」..#読書 #読書記録#books #bookstagram#永井荷風#青空文庫そういえば、パラダイスじいちゃんの父(旦那の祖父)が台湾のひとで、京都で長く屋台のラーメン屋をしていたのであるが、その当時吹いていたチャルメラは一体どこに行ってしまったのだろう。当時の丼などはまだあったような処分されたんだったか持ってきたんだったか(天井裏がカオス)。←そして物忘れの激しい嫁 ←目につかないところにしまうと存在を忘れる嫁