時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『集中力はいらない』森博嗣

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『集中力はいらない』森博嗣.久々の森先生。先日新しい本屋さんで娘のかいけつゾロリとともに衝動買い。「アンチ集中力」。先生、またパワーワードをさらっと(悶絶)。.ステンシルは興味のないことには全くアンテナが働かず無知なもののジャンルはそりゃもう幅広いのだけれど、好きなことになると過集中気味になるところがあり。てか「過集中」だと思っていたのだけれど、この本を読んで考えが改まりました。「集中」ではなくて拡がりまくる思考に自らを漂わせてるだけだな、と。ちっとも集中できてねぇ。むしろあちこちに考えが飛びまくっている。.我は集中力はある方だと勝手に思っていたのだけれど。常に頭の中でいろんなことがぐるぐる分散してて脳内で迷子になっているというだけでそれは集中とは言えないのだ、と。ぬぬ。そうか注意力散漫なのかな我。.でも集中していると10分ほどですぐに疲れる(厭きる)と仰る森先生とは違い、「疲れたからストップ、もしくは疲れるから違うことへスイッチ切り換え」と自制をかけることが我には難しく、だーっと没入して脳内動かしまくって何時間も過ごしてから後悔するタイプ(単にアホなんだろうな)。切り換えとか、賢く立ち回れたら人生楽なのにな。.そうだなぁカクテルパーティ効果などは注意力ないとできねぇやつだしなぁ。複数の楽器を奏でられてもパートひとつずつの音を集中して聴くことはできるのに、街中の音は全部いっぺんに入ってきて人の言葉が聞きとれなくなる。何この違い。周波数? ←わからないことを表す魔法の言葉.あ、楽器の音は脳がノイズ扱いしないからか? ということはやはり宮本浩次先生の声は楽器とみなしているのか俺…? 数々の邦バンドでは他楽器に紛れ日本語が曖昧に聴こえがちなヴォーカル。レコード&CD屋さんでエレカシ「優しい川」が流れてきて、店の喧騒の中で宮本先生の日本語が飛び抜けて聴こえてきた時の俺の驚愕を今でもまざまざと思い出すわ。「ここまで届いた何このひと」って思ってしまってからずっと沼。...あ、先生が複数の人間による脳内会議を「ごく普通のこと」と言ってくれている。しみじみ。.「発散とは、彼らが別々の行動をしていることであり、集中とは同じ仕事を協力している状態です。したがって、ばらばらで自由に動けるし、号令がかかれば、集まって統制が取れた仕事をする、というのは、けっこう難しいことだと感じます。それが簡単に切り換えられる人は多くはないでしょう。」.これ、娘はきっとこの感覚を持っているのだな。我自身は「複数」の自分が会議することはなくて。多分切り換えできない側なのだな。あ、あれ? いろんな角度からの意見が一度にぐるぐるするのって実は見えてないだけで、あれ? ←多頭飼い疑惑..#読書 #読書記録#books #bookstagram#森博嗣しかしこの表紙、糸井さんの作品かと見紛うな