時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『大川の水』芥川龍之介

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『大川の水』芥川龍之介.さて。独歩はもうすぐ独歩忌が訪れるのでそれまで置いときます。久々の龍さん。大川。かつて隅田川の吾妻橋周辺から下流がそう呼ばれていたそうで。という訳でこちらは龍さんの語る隅田川のキラキラです(そうなのか?..龍さんは中学生の頃までほぼ毎日大川を見ていて。あの川のことを自分はとても愛しており、それがなぜなのかは説明に苦しむが「昔からあの水を見るごとに、なんとなく、涙を落としたいような、言いがたい慰安と寂寥とを感じた。まったく、自分の住んでいる世界から遠ざかって、なつかしい思慕と追憶との国にはいるような心もちがした」と思い起こしている。.そして大川のことをあれこれ描写し始めるのだけど。「自分の見、自分の聞くすべてのものは、ことごとく、大川に対する自分の愛を新たにする。」 ただ水の響きばかりに魅了されているのではないと言う。.「ことに大川は、赭ちゃけた粘土の多い関東平野を行きつくして、「東京」という大都会を静かに流れているだけに、その濁って、皺をよせて、気むずかしいユダヤの老爺のように、ぶつぶつ口小言を言う水の色が、いかにも落ついた、人なつかしい、手ざわりのいい感じを持っている。」.「どことなく、生きて動いている気がする。しかもその動いてゆく先は、無始無終にわたる「永遠」の不可思議だという気がする」「自然の呼吸と人間の呼吸とが落ち合って、いつの間にか融合した都会の水の色の暖かさ」と言っていて。我はこの作品の何が好きかというと、あらゆる感覚が水に溶け合っているところで。におい、ひびき、声、音、色、吐息、揺れ、ささやき、風、等々。その周囲にある物や自然も混ぜ混ぜになってる感じがするのです。.銀灰色の靄と青い油のような水。汽笛はおぼつかなく吐息をつき、つぶやく水の声を聴き、おののく幼い心は楊柳の葉や黒蜻蛉の羽で、揺れる渡し船は揺籃で。磨いたガラス板のように青く光る水、冷ややかな潮のにおい。.ええと、味覚の表現はないのかな。でもあらゆる感覚で”大川に触れている”…というと”言及”という意味ぽいけどそうではなくて、脳内に思い描きつつ全身で実際に触っているというか。めっさ触感を感じるのですが。あなたはどうですか ていうか我の言ってること誰かわかりますか…? ←感覚が暴走してごちゃ混ぜになりがちな日常の我..最後の一節をご紹介。長いですが。----- ..ことに日暮れ、川の上に立ちこめる水蒸気と、しだいに暗くなる夕空の薄明りとは、この大川の水をして、ほとんど、比喩を絶した、微妙な色調を帯ばしめる。自分はひとり、渡し船の舷に肘をついて、もう靄のおりかけた、薄暮の川の水面を、なんということもなく見渡しながら、その暗緑色の水のあなた、暗い家々の空に大きな赤い月の出を見て、思わず涙を流したのを、おそらく終世忘れることはできないであろう。.. 「すべての市は、その市に固有なにおいを持っている。フロレンスのにおいは、イリスの白い花とほこりと靄と古の絵画のニスとのにおいである」(メレジュコウフスキイ) もし自分に「東京」のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのになんの躊躇もしないであろう。ひとりにおいのみではない。大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。------.龍さんが19歳の時の作品です。「老爺のよう」とは書いていたけれど。龍さんはこの川に母を感じていたのではないのかなぁとか。ね。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#芥川龍之介#芥川竜之介#青空文庫