時々空中へ舞ひ上がつてゐる。

好きなものについて考え続け脳内迷子のパラノイア雑記

『コーヒー哲学序説』寺田寅彦

日本近代文学館のカフェに行きたい〜っ。てか文学館に行きたい〜。

SNSをしていると、自分の知らないことを知っている方に紹介していただけるのがとても嬉しいです。世界が広がるなぁ。

 

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『コーヒー哲学序説』寺田寅彦.ええ。木曜会メンバです。ですが今回は漱石先生絡みではないところを。コーヒー、美味いよね。 という随筆。.コーヒーとの出会いは寅彦少年が8,9歳の頃。「おくすり」として飲まされた牛乳の中に、漢方的な感じで入ってたコーヒーの美味さに心酔したとか。牛乳を温めながらさらし木綿の小袋に入れた粉にしたコーヒーを浸して絞り出したそうな。.スは普段ブラック一辺倒だが。やってみたくなるなロイヤルミルクコーヒー(何)。.昔のコーヒー事情がちらりとわかるのにしみじみ。当時は贅沢品でなかなか飲めなかったとか、角砂糖にひとつまみの粉末を封入した「コーヒー糖」があったとか。.寅彦氏がドイツ留学した時のベルリンでの描写読んだだけでドイツにコーヒー飲みに行きたくなりました。くそぅ上手いな(悔しい?)。.あと、カップの縁の厚みで味わいが変わる、という感覚。なんでしょうねあれ。メカニズムは分かりませんが、スは厚ぼったい器で飲むのが好み。..そういえば哲学序説と銘打ってました。その辺も。.「芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない」.「宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。前者は信仰的主観的であるが、後者は懐疑的客観的だからかもしれない」..なんだか読んでて全体そうそうそれなだったのです。いや、コーヒー好き過ぎなだけやん。後半、何言ってんだ感ハンパなく。妄想(おい)の果てしない飛躍に痺れる。くそぅ上手いな。..#読書 #読書記録#books #bookstagram#寺田寅彦#青空文庫